スピリチャルはどこにでもある2
ちょっと違うかもしれませんが、「鍛えてくれる人はありがたい。辛抱させてくれる人はもっとありがたい。」という感じでした。
これぞスピリチャルだと思いました。
周りには必ず、何かやられて辛抱させられる人がいます。
普通に考えると、いやな思いをさせられる自分にとって否定的な人と思われます。
それがこの言葉だと、肯定的にとらえられています。
魂の成長という見方で見れば、辛抱させられる人は、そのことを乗り越えることで、魂が成長できます、
ですからスピリチャルと同じ見方になっています。
そのお母さんはこんなことは意識していないかもしれませんが、全く同じことだと思います。
スピリチャルはどこにでもあります、というより、この現実のことこそスピリチャルであって、現実に役立たなければスピリチャルとは言えません。
スピリチャルは、現実とは無縁の遠い世界のことではありません。
本当に高いレベルではそうかもしれませんが、スピリチャルはこの物質世界の元であって、その基本的な考えは、物資世界を支配しています。
それが目に見えなく、ゆっくりとしか変化しない物質世界では、わかりにくいのです。
でもこのスピリチャル的見地から考え行動すれば、正しい方向に進むことが出来ます。
それが出来ていないため、この世界では混乱は続いています。
根本的なことがしっかりわかっていないため、小手先ばかりの考えに頼っているため、うまくいっていないのです。
基本的な方向があっていれば、何とかうまくやれることが出来るでしょう。
これからの困難な時代に、このことを知っているかどうかで、人生が全然変わってきます。
もちろん私もスピリチャル的なことが完全にわかっているわけではありません。
でも少しずつですが、こういうスピリチャル的にに考えて、日々過ごすようになっています。
おかげで間違いなく昔に比べて改善されてきています。
残念ながらこの生では完全にはならないでしょうが、出来るだけスピリチャル的に生きることによって、楽しく有意義に感じられるようにやっていきます。
少なくとも方向性はあっていると思います。
ともかくあまり先を見すぎず、毎日毎日を意識しながら生きていきます。