命について考える
それからまた寝て、起きて見に行ったら、やはり猫が死んでしました。
処分をどうしようか、いやになっていたのですが、丸まって死んでいるのを見たら、さすがにかわいそうになりました。
体はまだ冷たくなかったのですが、死後硬直が始まっていました。
近くの裏山に穴を掘り埋めてやりました。
きょうは命について、考えることになりました。
折しも、きょうはおばあちゃんの命日でした。
そういう日だったのでしょう。
思ったのは、命のありがたさです。
命がなくなれば、ただの物質です。
よくわかりませんが、命というものがあるおかげで、こうして今いれています。
命がなければ、ただの物質のかたまりでしかありません。
今こうして命があって、いろいろな体験が出来ています。
ありがたいと思わなければいけません。
そうでなければ、何もないのです。
生きているとたいへんなことが多く、辛いことも多々ありますが、何もなかったら、さみしいです。
たいへんですが、せっかく命をもらっているのですから、今出来ることを、出来るだけやっていこうと思うます。
それが命をもらっているものの、務めのような気がします。
そう思って、溜め込んだストレスなんて、何でもないんだと思いました。
といっても、実際にストレスは、体力的にも精神的にも、格好な負担です。
今日は意識して、ストレス解消につとめました。
きつめの帽子をかぶっているように、脳が押さえ込まれているような気がしていました、
それで、興味のある雑誌を買って読んだり、いい音楽を聴いたり、甘いお菓子を食べたり、頭の中が気持ちよくなるようなことをしました。
脳内物質が分泌されて、それが緩和されたらと思いました。
またスピリチャル的にも、最近また言うのを忘れていた、「楽しい、幸せ、感謝」という言葉を、何十回も言ったり、休みのときによくやっているプチ瞑想を、一時間ばかりやりました。
その効果があってか、だいぶんよくなりました。
もちろんまだ完全というわけではありませんが、気持ちが楽になってきました。
不安もあまり起きなくなってきました。
きのうは、ちょっとしたことで、それがすぐ不安につながっていました。
何が起きても、不安になるという感じでした。
こんな状態が続くと、危ないです。
早めのストレス解消が必要です。
今日は何とか解消できてよかったです。
楽しい気持ちになると、脳内物質が分泌されて、ストレスが解消されるという気がしました。
日々、ちょっとしたことでもいいので、何か心地よいことを体験するのがいいと思います。
毎日のことが大切だと思いました。