霊柩車を見ると、いいことがある?
今朝、ウォーキングを開いている時、霊柩車が通るのを見ました。
霊柩車を見ると、いいことがあるというふうなことを聞いたことがあって、迷信とはわかっていても、ちょっと期待してしまいます。
結局、うどん屋さんで、前の人が忘れていったサービス券を頂いただけでした。
まあ、こんなものでしょう。
妙な期待があっただけに、あまり得した気分にはなれませんでした。
そうでなければ、素直に喜んでいたかもしれません。
こんなことは、どうでもいいのですが、この期待という気持ちは曲者です。
期待をしてはダメだというわけではないと思いますが、期待しすぎることはよくありません。
気持ちが、実態のない未来にいってしまっています。
人間は、すべてのことがわからないので、未来のことがわかるはずがありません。
はっきり言って、無駄なことをしていることになります。
もっと大きな問題は、未来に期待の気持ちがあるときは、今にいないことになます。
人間には、今しか、生きる場所はありません。
それ以外は、ただの想念です。
何かやろうとすれば、今しかありません。
今、創造しています。
どう創造するか、今決めています。
ですから、今、ちゃんと意識的でいます。
霊柩車を見ると、いいことがあるというふうなことを聞いたことがあって、迷信とはわかっていても、ちょっと期待してしまいます。
結局、うどん屋さんで、前の人が忘れていったサービス券を頂いただけでした。
まあ、こんなものでしょう。
妙な期待があっただけに、あまり得した気分にはなれませんでした。
そうでなければ、素直に喜んでいたかもしれません。
こんなことは、どうでもいいのですが、この期待という気持ちは曲者です。
期待をしてはダメだというわけではないと思いますが、期待しすぎることはよくありません。
気持ちが、実態のない未来にいってしまっています。
人間は、すべてのことがわからないので、未来のことがわかるはずがありません。
はっきり言って、無駄なことをしていることになります。
もっと大きな問題は、未来に期待の気持ちがあるときは、今にいないことになます。
人間には、今しか、生きる場所はありません。
それ以外は、ただの想念です。
何かやろうとすれば、今しかありません。
今、創造しています。
どう創造するか、今決めています。
ですから、今、ちゃんと意識的でいます。
by human-space
| 2016-08-05 23:32
| diary
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