人生は、完全さを求める旅
完全さは、自分の中で、最高に気持ちのいいものなので、それが、どういうものか、人それぞれ違うと思います。
ですから、それぞれ自分の中で、完全だと思うことを、探していけばいいと思います。
それは、自分の中の、神を探す旅でもあるのでしょう。
今まで、自分が探し当てたものは、最初は、スキーのターン技術です。
この冬の、北海道の富良野スキー場で、体感しました。
この技術でターンすると、最高に気持ちがいいです。
次は、この前得たばかりの、テニスのフォアです。
長年取り組んできましたが、やっと完全だと思えるようになってきました。
これはもちろん、自分の中の気持ちの問題で、他の人から見れば、どうか分かりません。
それでも、この前のテニス同好会で、元テニスコーチの人が、いいフォームなので、他の人の手本にしたいくらいだと言ってくれました。
まんざら、自己満足だけではないかもしれません。
もちろん、これで完成というわけでなく、完成形の原型ができたというところです。
また、次の完全さを求める旅も始めました。
それには、テニスのフォアのとき同じで、問題と思われることがいろいろありますが、目標が決まれば、頑張れます。
これは、まさにこれからです。
個人的には、同時にいくつものことができないので、テニスのフォアの目処が立って、やっと次にかかれるところです。
これが終われば、スピリチャルコーディネーターの完全さを求める旅に出るつもりです。
この頃には、だいぶ精神的に成長できているでしょう。
最終的は、人生の生き方における完全さを求めることになります。
ぼんやりとは、考えています。
それは、こんな感じの生き方になると思います。
「自分で前もって考えなくても、必要な時に、必要な情報が浮かんでくる」、ということです。
例えば、今日の親戚の寄り合いの時、言わなければいけないことが、その時ふと浮かんできて、それを口に出せば、ことがうまく進みました。
それまでは、全くそのことを、忘れていたのに、話の中で、言わなければいけない時に思い出しました。
「やらなければいけないことは、その時期が来ると、自然とそれをやる気になってくる」。
墓参りを、盆明けに、便がある時に、一緒にしようと思っていましたが、お盆にやってあげたほうが、お墓に入っている人も喜ぶ思え、昨日やってあげたら、今日になって、人が急に来ることになって、墓参りをしておいてよかったということがありました。
それまで、何とも思っていなかったのに、昨日急に、そう思えるようになりました。
あと、「周りの人が助けてくれる」。
自分で動かなくても、周りの人が動いてくれて、やらなければいけないことが、勝手に進んでいってくれるというものです。
問題のあった、親戚の人のことで、周りのいろいろな人が動いてくれて、ことが進んいってくれるということがあります。
それは、自分が全然何もしなくていいということではなく、その中で、自分がやったらいいことは自分がやっていきます。
それ以外のことで、自分ではやりにくいと思うことを、他の人がやってくれるというものです。
これに関しては、本当に実感しています。
自分が守られているということを、わからせるために、こういう大変なことが、自分の近くに起きているのではないかと、思うくらいです。
これら、まだまだちょっとしたことばかりですが、これを突き詰めていくと、神の行いに近づいていくのでしょうか。
まさにこれからで、このことを意識していきます。
こんなことを考えていると、人生は素晴らしいものではないかと思えるようになりました。
by human-space
| 2017-08-13 20:41
| diary
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