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スピリチャル日記3

humanspace.exblog.jp

より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

相対世界の森

今日こんな言葉を思いつきました。
この森に迷い込んだらなかなか出て来れません。
右も左もわからなくなってしまいます。

今進んでいる方向が合っているかわからなくなります。
このままでいいんだろうか不安になります。
ちゃんと方角を示すコンパスが必要です。

これさえあれば今茂みの中を進んでいても、そのうち思っているところに出てくるだろうと安心して進めます。
なければ不安になって、進めなくなりどちらも動けなくなってしまいます。

いま自分がどこにいて、どちらに進んでいるのだろうか。
このナビゲーションが知識です。
この知識があると今どこにいるのかわかります。
そしてどっちに方に行ったらいいのかわかります。

マハリシは闇の中のろうそくの炎だといいました。
闇の中で自分の進む方角を照らしてくれます。
これほど勇気を与えてくれるものはありません。

でも知識だけでは何もなりません。
知識はただ方向を示してくれるだけです。
そこから動いていくのは自分です。

知識を持っているだけでは何でもありません。
それを使っていってこそ役立つものです。
日常の生活で使えることです。

逆に言うと、日常の生活に使えなければ本当の知識ではありません。
真実ではありません。
本当の知識を求めています。

それはだれでも持っているはずですが、気がついていないだけではないかと思っています。
目の前にあるはずで、常識という色眼鏡さえ外せば見えてくるはずです。

ちょっと見方を変えるだけです。
すぐ隣にいるのに気がつかないのです。
ではどうすれば気がつくのでしょう。

本を読んだり、講演を聴いたりしてみるのいいでしょう。
もちろんそれはそれで有効な方法です。
でもそれはあくまで最大公約数であって、自分にほんとうに役に立つかどうかはわかりません。

本当にいまの自分に役に立つ知識は、自分の内からくる「気づき」だと思うのです。
自分の内から、ああこうだったんだ、という気づきこそ自分の今の状態にぴったりの知識です。
それこそがいま自分が何をすべきかを示してくれています。

普通は自我がいろいろ考えてどうすべきか決めますが、当たることもあるし外れることもあります。
自我は過去の経験から計算しますが、この混沌としてきた未来を占うのはかなりあやしくなってきています。
カタカタといっているコンピューターみたいです。

そこは宇宙のコンピューターにまかせるのがいいみたいです。
それは宇宙全体がわかってるので、そこから自分の行動を割り出すので間違いありません。
自我のように自分しかわかっていないのと違います。

ただそれはいつどのようにわかるのかがわかりません。
そこがちょっと気になります。
それに全面的に頼るのはさすがにまだまだです。

やはり自我の知識はまだまだ必要です。
それなくしては今の生活はできません。
一気にやろうとしているのではありません。

少しずつ新しい知識を取り入れていこうと思っています。
新しいやり方でやっていこうと思っています。
そういった環境を整えていこうと思っています。

ではどうするのかというと、単純には「何も考えない」です。(^^;;;
どうもこれが話が早いようなのです。
ともかく自我の介入をできるだけ減らすのです。

自我の考えが少なければ、それだけ宇宙の考えが浮かんできやすくなります。
本当の知識ですね。
直感というやつです。

頭のなかに占める割合を増やしてやるようにします。
直感で行動する、です。
面倒くさくいっていますが、こんなことを言わなくてもできている人はいます。

自然にやっている人は大勢いると思います。
ただ意識しているかどうかだけです。
思いついたことをすぐ行動できる人です。

こうして書いていたら、まさにマハリシにいっている闇の中のろうそくの炎というのがぴったりの表現に思えてきました。
闇の中でぽっと浮かんできた炎の明かりの方向に進んでいく。
そしたらまた別の方から炎が見えた。

それでまたその方向に進んでいく。
残念ながらつねに闇に覆われていて全体は見えなくて、すべてのことはわからないけれども必要なことはその炎が照らしてくれて見える。
そこさえ見えていれば困ることはない。

人間でいる限りにおいては全体は見えないようになっているみたいです。
それが見えてしまったらこのゲームはおしまいです。
ここにいる限りは見えなくてもいいのです。

それがこのゲームの仕組みです。
あわててすべてをわかろうとする必要はありません。
目の前のことだけをやっていく、それでいいみたいです。

現実的にはちょっとスピードを落とす必要がありそうです。
ちょっと早すぎます。
時間を取って想念観察や瞑想をするなど、落ち着く時間をつくることです。

自分の内側が何を考えているのか、どうなっているのか見てみることです。
外側のことに気がいき過ぎています。
外側のことより、まず内側です。

今までは外側を何とかしようとしてきました。
これにはきりがありません。
してはいけないというのではありません。

外側に何かするためにここにきているのですから。
ただ行き過ぎをやめようとしているのです。
内側さえできてくれば、外側は自然にできてきます。

まずは内側を見つめ直す。
そうすれば自然と直感的になってきます。
炎がぽっぽっと現れてきます。

何も考えずそれに従っていく、そんな生活です。
まるで仙人みたいですね。(^^;
その方向にシフトしていきます。

それで何度も言っているように、目的はその仙人ではなくて、その過程です。
その変化していくプロセスです。
そのプロセスこそ目的です。

その体験こそ目的です。
仙人になるためにこの世界に来たのではありません。
元から仙人なのですから。

もうなっています。
それになる過程を体験するするために、ここにきているのです。
ですから目の前の体験が大事です。

必要でないことはひとつもありません。
今の体験こそこれからの体験のために必要なのです。
仙人でない体験が必要なのです。

そのことを理解したとき、次の変化ができます。
それがわからないうちは、いつまでも相対世界の森の中をさまようことになります。
もちろんさまようことは必要は体験ですが、それはいつでもそこから抜けることができます。

自分でもうこの経験は十分に体験したと思ったなら抜ければいいのです。
それがわるいことでなく、自分にとって必要な体験だったとわかったとき抜けれます。
それ以外完全に抜けるやり方は思いつきません。

私は抜けます。
もうこういった経験は充分できました。
ありがとうございました。

この瞬間、わたしは十分です。
不完全さはありません。
何も問題ありません。

直すところもありません。
しなければいけないこともありません。
完全な自由のなかにあります。
by human-space | 2005-07-10 15:02 | Comments(0)

by human-space