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スピリチャル日記3

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より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

「天国からの手紙」を泣かずに見る方法

今日はスピリチャルなテレビ番組がふたつもありました。
江原啓之さんの「天国からの手紙」とNHK教育でやっていた柳沢桂子さんの「いのちで読む般若心経」です。
柳沢さんの番組は前に言っていた江原さんの本の2回目を読みながら流し見していたのですが、途中から引きつけられてずっと見てしまいました。

「天国からの手紙」は今までの物質主義的見方で見ていたら、とても涙なくしては見れません。
自分がこういうことになったらと思うと、その気持ちは見ていてよくわかります。
ちょっと叙情的なことを強調しすぎるところはありますが、感動的であることには変わりありません。

それでも今は輪廻転生があると思っているので、割と冷静に見れました。
死んだあとのことも知識としてはもっているので、それ程不思議ではありませんでした。
霊については自分はまだよくわからないところもありますが、たぶんそのとおりだと思います。

ただ江原さんのすごいのはこの霊的現象はスピリチャルなことのとっかかりであるだけだといっていることです。
テレビでははっきりと言っていませんが、この前の本の「江原啓之への質問状」を読んでいるとはっきりと書いています。
霊的現象はスピリチャルな方向へみんなの目を向けるきっかけにすぎないと言っています。

物質主義に傾きすぎている今の世界を変えるためにやっている手段にすぎないということです。
それよりこの世界の本質がわかることが大切だと言っています。
今までテレビに出ていた霊能力者とは明らかに違います。

こういう番組があるというのは、だんだんといい方向に向かっているのかもしれません。
ちょっとずつ世界観が変わってきているのかもしれません。
こういうことが普通に話せるようになれば、世の中全体がよくなっていることだと思います。

それともうひとつの柳沢さんの「いのちで読む般若心経」は、前にも科学者がこの手の本を出していて、私もよく読んでいたので最初はあまり関心がありませんでした。
結局興味本位だけで、たいした結論にはなっていなかったからです。
それが36年も闘病生活をしていたと聞いて、これは本物ではないかと見入ってしまいました。

柳沢さんはその36年の闘病生活の後に、あることがきっかけで悟りに至ったようです。
そのときのことを、飛行機に乗っていて雲の中から青空に出てきたようだったと言っていました。
それから至福の状態でいれているようです。

私はいくら悟れるといっても、36年も闘病生活をする勇気はありません。
柳沢さんはそれほど強い魂なのでしょう。
それとその中でいっていたことで、何点か気になったことがありました。

ひとつは悟りはそんなに遠いところではなくて、目の前にあるということでした。
私も前に悟りは薄い皮の向こうのすぐ手が届くにあると感じたことがありました。
今はその感覚はありませんが、合っていたんだなあと思いました。

それと痛みに耐えていた闘病生活の間、その痛みの度合いをプラス記号の数で書きしるしていました。
体の部署を書いた表に、今日はどこそこがプラス2、別のところはプラス1とかいった具合で書いてありました。
そしてそのことに喜びを感じられるようになったということです。

人間はこんな絶望的な状況にも関わらず、こういう心境になれるということです。
喜びを感じることができるということです。
これは自我を物質主義的な思いを、手放したから感じることができたのでしょう。

これはきのう言ってきたことにつながると思いました。
幸せは外側に求めていたのでは、次から次へときりがありません。
そうではなくて内側の自我、物質主義的な思いををなくしていくことによって、自然と湧き出てくるということだと思いました。

このような状態になると外側に何かを求めなくても、ちょっとしたどんなことでも幸福感を得ることができるようになるということです。
そういえば昨日風呂に入っているときに、近頃は寒い日が続いていたので、こうして熱い風呂に入れるだけで十分幸せだと思えました。
柳沢さんの壮絶な経験と一緒にはできませんが、原理は同じだと思いました。

今日は腰痛が出ておとなしくしていたのですが、これも何がじっとしていろというサインだと思って、悪く考えないようにしました。
今までの物質主義的見方で見ないようにしました。
今日はこうしたやり方が間違いないと思えました。
by human-space | 2005-12-30 22:21 | diary | Comments(0)

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