ブログトップ | ログイン

スピリチャル日記3

humanspace.exblog.jp

より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

<   2005年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

もともと弱点だらけなのですが、今日またひとつボロがでてしまいました。
格好わるくて人に言えるようなものではありません。
今までもあったことですが、別のほうに展開しました。

昨日はわりと落ち着いていたのですが、今日はちょっとあやしい雰囲気でした。
それでも気にせずにやっていましたが、こんなことになるとは。
ちょっとショックです。

どうもこの生では派手にやるようにはなっていないみたいです。
自分のペースでぼちぼちやっていきます。
最近ちょっと調子に乗りすぎていたので、ゆりもどしでしょうか。

それでも、あまり落ち込むことがなかったのは、ちょっとは成長しているようです。
ショックのわりには後あまり尾を引きませんでした。
今までだったら、けっこう引きずっていたと思います。

今回はこんなことも前向きに考えることができました。
これに懲りずに楽しくやっていきます。
冷静に。
by human-space | 2005-03-31 23:59 | diary | Comments(0)
今日はたいしたことはなかったのですが、気分的には上下しました。
午前中はちょっと落ち着かなくて、調子がでませんでした。
午後からはまずまずで、夜遅くまで仕事をしているのに、帰るころには妙に楽しかったりしました。

何かよくわからないのですが、楽しい気分になるのです。
おもしろいことがあったわけでもなく、理由はわかりません。
何故でしょう?
でもあと気分が悪くなったりして、上がったり下がったりでした。

あと、うまくいくんだという思いを持っているので、何かあってもジタバタしないで済みました。
うまくいくんだと思えると、バタバタしようとするのを一歩踏みとどまれます。
結局私がジタバタしなくても変なことにはなりませんでした。

またちょっとしたことがありましたが、落ち着いて対応できました。
どうせうまくいくのだから、と思えると慌てずに済みます。
これはうまくやれたと思います。

明日もまた一日楽しくやります。
落ち着いて。
ちょっといい感じです。
by human-space | 2005-03-31 00:03 | diary | Comments(0)
今日は仕事の時間に追われて、いっぱいいっぱいでした。
残念ながら余裕なし。
それでもいつもほどはイライラせず、まあまあでした。

まあよく考えれば、さっさと仕事が片付いた、ともいえます。
考えれば切りがないことだったので、ぱっぱと決めました。
とりあえず、これでよかったかも。

明日は余裕でやるつもりです。
今の仕事もめどがつきそうだし、うまくいきそうな気がします。
こういうときは、自分がジタバタしなくても何とかなるものです。

自然に周りが動いていく感じでしょうか。
そういうときは、じっと見ていればいいです。
あまりバタバタせずに。
by human-space | 2005-03-29 22:57 | diary | Comments(0)
今日は年度末にもかかわらず、余裕を持って楽しく仕事ができました。
といっても私の心のなかでの話で、外側から見ればまあまあくらいだと思います。

ミスをしてもさっとカバーできました。
何とかなるだろうと思っていると、けっこういいアイデアが浮かんできて、うまく処理できました。
我ながらやるやんと思えて、逆にちょっとうれしくなりました。

いつもこういう感じでやりたいですね。
余裕を持って楽しみながらやる。
明日もやります。
by human-space | 2005-03-29 00:15 | diary | Comments(0)
誰でも正義感はもっていると思います。
その正義感に基づいて判断しています。
このひとは良い人、このひとは悪人とかです。

これは小さい時から培ってきたことであり、それが世間一般の常識と同じようなものである場合が多いと思います。
ですから自分の正義感を疑う人はあまりないのではないかと思います。
というかその存在すら意識することがないのではないでしょうか。

私もそのひとりでした。
それはあまりにも当たり前なので、気づくこともできませんでした。
今それの修正作業にとりかかっています。

この自分のなかの正義の味方を敵にまわそうとしています。
これはかなりよいしょがいります。
自分自身を否定するようなものですから。

でもこれは古い自分から新しい自分に生まれ変わるのに、どうしても必要になります。
これを持って、新しい世界には行けません。
どんなに勉強して頭のなかでわかっていても、ここから先に行けなくなります。

この正義感を握りしめていると、人をきびしく判断してしまいます。
それによって怒りの感情が起ってきます。
自分の持っている正義感が、逆に自分を縛ることになってしまうのです。

ですから、かなりつらいところもありますが、やるしかありません。
これは最後の大きな山ではないかと思います。
これを超えれば、先が開けてくるのではないでしょうか。

やり方はいろいろあるのでしょう。
私は目の前のことをやっていくだけです。
いま起っていることを、新しい基準で解釈していきます。

いままでの基準で判断しようとしてしまいそうになりますが、そこでひとつひとつ修正していきます。
これが確実です。
前にもいいましたが、うまく進化できるようにこの現実が現れているようなのです。

目の前のこの現実こそ、今の自分にぴったりとあったレッスンの場なのです。
それをやることが、一番の近道ということです。
ですから私は今この瞬間からやっていきます。

準備もお金も勉強も必要ありません。
すべて今この瞬間からできます。
つねにいつでもできるようになっているみたいです。

実際どうするかというと、いつもいっていることをやります。
外側に起っていることは完全であるので、何かそうでないと感じるならば、自分の内側のほうに原因がある、ということになります。
その原因が何であるかを考え、その内側の原因に対処します。
それでその外側に起っていることが問題でないと思えるようになったら、それをクリアーできたことになります。

そのとき外側に対処する必要はありません。
してはいけないということではありません。
したければしてもいいし、しなくてもいいということです。
ただ外側に対処しただけでは、本質的な解決はできませんということです。

「どちらでもいい」はよく使います。
今までこうでないといけないと、思い込んでいたのを、どっちでもいいんだ、と思えることはそれに縛られなくなったということです。

また、どうしてこんなことを感じる必要があったのだろうと、内側に問いかけをします。
内側に何か原因があるはずなのですが、それがわからないときに自問自答してみます。
答えはすぐには返ってこないかもしれませんが、いずれ何かの形で現れてくるでしょう。

人や他のものせいにしないで、自分の問題として受け止められているだけでも進歩しています。
まずはこれだけでもいいと思います。
そうしているうちに、自然と原因がわかるようになるでしょう。

ともかくここを超えなければ、今までと何の違いもありません。
古い岩盤の上に新しい家を建てても、何かあればひとたまりもありません。
わかったような気になっていても、いざというとき何にもなりません。

これをやっていると、新しい世界が見えてくるのではないかと思います。
外からは変わっていないようでも、自分から見ればこの世界が違うように見えるのではないでしょうか。
どんなふうに見えるようになるか、楽しみにしてます。
by human-space | 2005-03-27 13:33 | policy | Comments(0)
今週は事務引継や送別会などで、あっという間に終わってしまいました。
何をしてたんだろうという感じです。

考えていたのは精神的に恰好わるいことはしないようにしよう、です。
現実のことにはどちらでもいい、をやりました。
引き継ぎがうまくいかなくてもいいじゃないか、です。

実際飲み会は途中で寝てしまったり、時間の感覚がなかったり、ちょっと怪しいです。(^^;
だいたいは何とかなったのですが、たまに気になることがありました。
そんなときは、どうしても外側のせいにしてしまいます。

でもすぐ、何でこんな体験をする必要があったのだろう、と意識が内側に向かいました。
その答えはすぐには浮かんできませんが、いずれ返ってくるだろうということで気にしません。
基本的には自分の内側に何かの思い込みがあるということです。

それを必要以上に気にしているということです。
その内側にあるものが、外側に現れてきているのでしょう。
それを手放す必要があるということです。

ともかくはっきりしているのは、よくないことが起ったのではなくて、自分の成長のためになることが起ったということです。
これは間違いありません。
これを思うだけでも、けっこう救われます。

ただぐさっときますので、気持ちのいいものではありません。
もうこんな思いはしたくないですね。
さっさと手放さなくては。
by human-space | 2005-03-26 13:06 | diary | Comments(0)
出張から帰ってきて、夜テニスをしました。
ここは中級クラスで、私にとってはレベルが高いので気を抜けません。
きょうも最初頃はバタバタでした。

これはいかんと集中しようとしたら、すっと集中することができました。
自分でもあれっと思ったくらい、すっとできました。
いつもは何かに気をとられて、うまくできないことが多いのです。

今日は風があったり、昨日ちょっと飲み過ぎて調子もいまいちだったので、こういうときはあやしいのですが。
精神的になかなかよい状態のようです。
今日は天気も不安定で中止になるかもしれなかったのですが、こんなときどちらでもいい、と気楽にできたのがよかったのでしょうか。
by human-space | 2005-03-24 23:05 | diary | Comments(0)
連休明けはなかなか調子がでないのですが、今日もそんな感じです。
いつもなら、こんなもんかと思うのですが、最近やる気になっているだけにちょっと残念。

苦しいとすぐ人のせいにしてしまいます。
周りからみるとそんなに大したことではないように見えると思うのですが、自分の中からみると情けないです。
昼からは何とか普段どおりになりました。

明日から事務引継で出張します。
こんどは恰好よくやります。
もちろん心のなかのことです。
by human-space | 2005-03-22 23:25 | diary | Comments(0)
ちょっとしつこいですが、私は「どちらでもいい」で自由になります。
これが私の武器です。
古い考え方が起ってきたとき、これを使います。

これで立ち向かいます。
剣のような感じです。
これで自分を守ります。

不安や迷いなどの古い想念は自分に向かってくるといってもいいくらいです。
圧倒してきます。
そんなときにこれで振り払います。

そのときのやりかたはいろいろあると思います。
人それぞれで、自分にあったものでやればいいと思います。
それらの想念にどう対処するかです。

真っ向から勝負するのはエネルギーがいります。
「どちらでもいい」はそれらの想念の元から絶つという感じです。
それらの想念が起らなくなります。

起ってきた想念は、もう起ってしまったのでしようがありません。
ああ、いま不安を感じている、などと素直に感じます。
そしてそれを受け流します。

感じた後は、その想念にはそれ以上対処しません。
そしてそのあと、それはどっちでもいいんだ、と思い直します。
一回でうまくいけば、その不安は起ってきません。

また起ってくるようだと、何回か同じようにやります。
そうすると、だいたい起らなくなります。
もうそれに縛られることはなくなりました。

ちょっと自由になったということです。
これで私は切り抜けていきます。
何か起ってきたら使います。

今日もテニスのちょっとした試合形式の練習のときに使いました。
初めてのペアの時はいつも緊張してしまいます。
勝たなくてはと思ってしまいます。

そんなとき、どっちでもいいんだ、と思い直します。
勝っても負けてもいいんだと、思い直します。
そうすると緊張がほぐれて、リラックスしてやれます。
さすがに緊張のほうが勝ってしまって、うまくいかないこともありますが、だいたい何とかなります。

こういう日常の些細なことから、転勤のことまで人生すべてのことに使えます。
こういったことは外側が原因のように見えますが、結局はすべて自分の内側の問題です。
内側のことは、すべて内側で対処できます。
というより外側に対処したのでは、根本的に解決しません。

このやり方は本当に効きます。
いざというとき役に立って、頼りになります。
困ったときこそ使えます。

人生を生きていくとき、これで切り抜けます。
あとはしたいことをしていればいいですね。
何かあれば、これです。
by human-space | 2005-03-21 14:34 | policy | Comments(0)
今日は日曜日で時間があるので、ゆっくり考える時間がありました。
どういうふうになれば神といえるのだろか?
どこが神と人間の境目だろうか?

神とはこの物質世界から自由で、この物質世界を創造するひと?のことであると思います。
考え方はいろいろあると思いますが、これができれば神とよんでもいいのではないでしょうか。
何にも縛られず、何でもできるということです。

ではその神と普通の人間との境目はどこにあるのでしょうか。
完全に自由で、ぱっぱ、ぱっぱと物質を創造していれば、誰が見ても神といえるでしょうが、それほどでもないけれども、かなりできるというひとはどうでしょう。
そのひとは神、人間?

そう考えていると、そんな境目は実はないのではないかと思いました。
誰もたまには経験があると思いますが、思っていたものを手に入れたり、開放感があると感じたことはあるのではないでしょうか。
それって、ここでいう神業ということではないでしょうか。

とうことは、誰でも神の端くれ??
そしたら完全な神との境目はあるの?
そう考えていると、たいへんなことに気がつきました。

そんな境目なんてありそうもありません。
ということは、人間も神と同じことになります!!!
おお、ゴッド。

そうなんです。
私が思うに、人間はもともと神なのです。
神になろうとする必要はないんです。

いま現在、神なのですから。
いまここに自分が存在して、周りに物質世界がある、それこそが何よりの証拠です。
もしそうでなければ、「無」です。

何もありません。
中途半端はありません。
あるかないかです。

あるならば、神であるということです。
ただそれに気がついていないだけです。
境目があるとすれば、あると思っているだけです。

人間はみな神なのです。
神としての潜在力はみんな持っているのです。
無意識では使っていますが、わかっていないのでうまく使えていないだけです。

今までそうではないと教えられてきたために、使えていないだけです。
その創造力はあまりに強いために、生まれてからずっとできないと言われていると、本当にできなくなっているのです。
その力はそのように今も十分働いているので、できると考え直すだけで、できるようになります。

ただ、その教えがあまりに強く意識にはまり込んでいるので、ちょっとだけでは変えるのが難しくなっているのです。
それは一時的に本を読んでわかったようになっていても、すぐ元に戻ってしまいます。
本当に注意していないと気がつきません。

人によっては一言でわかってしまう人もいるかもしれません。
普通は本当にわかるためには、くり返しくり返ししないと元に戻ってしまいます。
私もこういうことを思い始めて、10年くらいたってやっとここまできた感じです。

それでわかったことは、人間はみんな神としての潜在能力はもっている、それもいつでも充分に発揮できる状態にある、ということです。
ですからすべきことは、それができると思えるかどうかだけです。
心の底からそう思える人は、この瞬間から本当の?神になれるでしょう。

そう思えない人は、そう思えるように自我を修正していく必要があります。
これを修行というのでしょう。
これはただ思い直しの作業であって、力がないから力をつけるというのではありません。

ただ考え方を変えようとしているだけです。
さっきもいったように、生まれてからずっとそうではないと言われ続けてきたために、なかなか直らないだけです。
世界全体がかわり、生まれてからこういった教育をされてきたなら、何の努力もせず神でいられることでしょう。

そういった時代に生まれれば、苦しみなどは体験することはありません。
悲しみも体験しないでしょう。
そのかわり、苦しんだ後の、やったぁー!という体験もできないでしょう。

この二元性の体験もしないのかもしれません。
貧乏という感覚がないので、金持ちという感覚も感じないでしょう。
きたないという感覚がなければ、きれいという感覚も感じません。

これくらいハイレベルにいると、潜在的な幸福感に包まれているので、こういった喜びはたいしたことないように感じるのでしょう。
ですからこんな感覚がなくてもつらくもなく、つねに平穏な気持ちでいられていると思います。
これこそ神性といったことでしょう。

今それをいま目指していますが、私はまだこの世界に未練があるようです。(^^;
まだしたいことが残っています。
ただある程度レベルをあげていかないと、つらいことのほうが多すぎてとても耐えられません。

もう十分片方の体験をしてきました。
もういいです。
こんどはいいほうの体験をしていきます。

この仕組みがわかっていると、これを意識的にやることができます。
いままでは知らなかったために闇雲にやっていたので、うまくいったり、いかなかったり、やってみないとわかりませんでした。
とういより、はずれのほうが圧倒的に多かったです。

これからはうまくやります。
あたりを引いていきます。
やり方はわかっています。

ただ注意していないと、いつのまにか今までの考え方でやってしまっています。
これは常に気をつける必要があります。
常に自我を見張っていなければいけません。

それを意識してやっていれば、自我もそのやり方に慣れてくるでしょう。
そうなれば、意識しなくて自然にできるようになれます。
そんな人が「マスター」です。

もう神なのですから、(^^;  目指すはマスターですね。
これは恰好いいです。
by human-space | 2005-03-20 21:43 | policy | Comments(0)