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スピリチャル日記3

humanspace.exblog.jp

より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

今朝こんなことを思いました。
それは夢を見たからです。

泊まるところがなくて、あちらこちらをうろついています。
下宿のあったところに行く電車に乗ろうとして、そうだいまはもう学生じゃないんだ、とまた別の電車に乗ろうとします。
それが満員でくじけてしまいます。
ほんとうに路頭に迷っているという感じでした。

ふと目が覚めて、そうだ今は会社に行っているんだ、ちゃんと行くところがあるんだ、と安心するとともにうれしい気分になりました。
会社に行くことがうれしいなんて思ったのは、初めてといっていいくらいです。
記憶にありません。

そのとき、考え方ひとつでどうとでもなるんだと思いました。
これぞ相対世界です。
絶対的ではないということです。

あと何か可能性のあった未来のひとつを見たのではないかと思いました。
誰でもそうだと思いますが、会社を辞めたいと思ったことはあると思います。
それを実行していたら、こんなふうになっていたのではと思いました。

ほっと胸を撫で下ろしました。
ちょっとぞっとしました。
ほんとそのとき、会社に行けてうれしいと思いました。

残念ながら、それからしばらくたった今はいつもと同じです。
今朝の感覚を思い出しながら書いていますが、ほとんど消えかかっています。
様子は覚えていますが、そのときの感覚がなくなっています。

あんなことは思ったことがありません。
また味わいたいのですが、その前の怖い夢はもういやです。
相対世界ではこうなるしかないのでしょうか。
# by human-space | 2005-07-19 20:49 | diary | Comments(0)
今日は朝からゆっくりでき、一日何も予定がないのでじっくり今までやったことに取り組みました。
時間をかけてやったからといって、これが何も効果なし。
何か別のこと(外側のこと)をしたほうがよかったかなあ、と思えるくらいでした。

昨日おとといと休みでしたが用があって、あまり落ちつていませんでした。
今日は一日あいていたので、じっくりやろうと楽しみにしていたのに何のことやらです。
なかなか思ったとおりいきませんね。

何回か瞑想をしたり、今までやったことを意識的に集中してみたりしてみました。
そのときはそれなりにうまくいっているような気がしましたが、あとは全然いつもと変わりません。
ちょっと期待しすぎていたのでしょうか。

方向的にはこれでいいことは間違いないと思っていますが、トントン拍子にはいきませんね。
本当に今が完全だと思えれば、それだけで満足した状態になるはずです。
かなり意識を向けてみましたが、そこまでは至りませんでした。

今日一番よかったのは、昼寝のあとの目覚めがすごく気持ちがよかったことです。(^^;
ただ寝足りたというのではなく、ほんとに気持ちいい、という感じでした。
近頃こんな感覚は記憶にありません。

総じて何をやっていたやらです。
単純にはいい休養にはなりました。
でもやはり何となくすっきりしません。
# by human-space | 2005-07-18 20:12 | diary | Comments(0)
昨日感じるところがあったので、今日はちょっとやれるかと思っていましたが、いつもどおりのけっこう情けない一日でした。
何をやっているんだろう、という感じです。
これもお試しでしょうか。

ただマイナスの落ち込み具合がいつもより少ないような気がしました。
いつもだったら、感情的になるところを何とかこらえられました。
かなりあやしいところですが、何とかです。

そうやっているときふと思いました。
いま外側のせいでイライラの感情が起こっているように感じるけれども、自分はその感情を選択しない、平穏な感情を選択する。
そうしたら、ずるずるとイライラしていた感情が吹っ切れて、すっきりとしました。

ほんとに心から気にならなくなりました。
そして思ったのは、いくら表面で取り繕っていても、心の中でイライラしていたら、結局それが現実化してしまう。
本当に平穏になるためには、自分の心のなかの波動を整えなければいけないと思いました。

今日の最後のほうは、外側のせいにせず、自分で自分の感情を選択できました。
そしたら外側のことが気にならなくなりました。
ちょっとやれた気がしました。

それにしてももっとパッパとやらなければ。
半日うじうじとやっていました。
でも今回まずは内側というのが実感できました。
# by human-space | 2005-07-17 19:49 | diary | Comments(0)
今日は休みで時間があるので、「今」のことを意識していました。
雑念が浮かんだり消えたりしながら、このことを考えていました。
ちょっとした瞑想状態になっていたかもしれません。

そんなとき理屈で考えていたことが、感覚として感じました。
これこそ求めていたものだと思います。
理屈ではなく、感覚として自然に思えるということが必要です。

まず思えたのは、先の心配をすることはないということです。
実際ちょっとした心配事が浮かんできましたが、すぐすっと消えていきました。
未来のことは完全に宇宙に任せてしまって、今は先のことを一点も考えることはありません。

頭のなかが静寂になっています。
空っぽになっている感じです。
何も考えることはありません。

あと思えたのは、必要なことは必要なとき目の前に現れてくるということです。
前もって気にすることはありません。
そのときそれをやればいいわけです。

これをするために前もってこうやっておかなければ、と考える必要はありません。
自分で考えて何かをしなければいけないことはありません。
ただ単に目の前のこと、今したいことをするだけです。

今まで理屈では考えてきたことですが、今日は感覚として感じられました。
この感覚が常にあって、そのとおり行動できたら・・・。
今日はそれがやれそうな気がしてきました。

つねに雑念が浮かんできて邪魔されてしまいますが、内側をつねに注意しておくこと。
これをやります。
これからどうなるか、ちょっとドキドキしてきました。
# by human-space | 2005-07-16 12:43 | diary | Comments(0)
今日はまったく普通の日でした。
相変わらずいつものように仕事でちょっとジタバタしましたが、あとはまあまあです。
わるいこともありません。

仕事もまずますテキパキと進みます。
すべきことが片付いていきます。
それ程どうということはありませんが、あまり力を入れないでも進んでいく感じです。

やる前はちょっとたいへんかなあと思っていた仕事も、やりだすと意外と簡単に終わってしまいます。
頭のなかで、あまり引っかからなくなりました。
気にしないようにしているのが、いいのでしょうか。

ともかく今は、「今」です。(^^;
ここを押さえれば、あとは自然にうまくいってくるのではないかと思うようになってきました。
その他のことはあまり気にしなくても、人生うまく生きれるようになるのではないかと思います。

ここは大きなキーポイントです。
ここはまず押さえる必要があります。
ここを抜かしたのでは、あと何をやってもうまくいかないのではないかと思います。

今、ちょっとしたヤマ場です。
我が人生最大の転機かもしれません。
必ずやります。
# by human-space | 2005-07-15 21:46 | diary | Comments(0)
といってももともと派手ではないので、周りから見ててもどうっていうことはないと思います。
普通の一日という感じではないかと思います。
特別楽しいことがあったというわけでもありません。

でもこうして一日終わってみると、なんか楽しかったなあ、と思えるのです。
ほんのりと感じます。
最高!というのとは違いますが、よかったなあ、という感じです。

これも成果でしょうか。
自分から楽しくしようと何かしたわけではありません。
自分としては普段どおりにしていました。

ときどき意識するのはいつものことです。
思いついたら意識するようにはしています。
つねに今、なっていると思うようにしています。
# by human-space | 2005-07-15 00:03 | diary | Comments(0)
このところずっと、同じことばっかりやっています。
今何も問題はない、直すべきところは何もない、今がベストである、です。
どうも今はこれが宿題のようです。

何となくこれをやりたくなるのです。
これをやっことが、ぴったりくるのです。
今これをやるようになっているみたいです。

確かにここをクリアーできれば、この世界の問題はほとんどなくなるのではないかと思えます。
今の現状がどうであれ、自分の中では何も問題はなくなるのですから。
あまりにも当たり前すぎて、見過ごしてしまいそうです。

この瞬間になることがミソです。
修行の先にあるのではありません。
今どんな状態でも、この瞬間です。

そして今の自分が完全であると思えたら、あとは自由に変化していくことができるでしょう。
思った人生を歩むことができるでしょう。
神のパワーを最大限に発揮できる状態になったのですから。

いままでそのパワーがあったのに、自分で使えないようにしていたのです。
自分は不完全であると思っていたからです。
力があるのに、ないと思い込んでいたのです。

今この瞬間に完全だと思えたとき、すぐそのパワーを使えます。
この瞬間から変われます。
自分の思うままに。
# by human-space | 2005-07-13 21:52 | diary | Comments(7)
いま直すべきことはないとか、いまがベストだ、などと今この瞬間に何も問題はないことをさんざん言ってきた成果か、今日ちょっと幸福感を感じました。
仕事から帰って風呂に入っているとき、いまとりあえずは食べる心配はしなくていい、家族と一緒に食事ができている、そんなことが浮かんできました。
そしてこれ以上の幸せはないのではないだろうか、そんなことを思いました。

ちょっとした幸福感がありました。
幸せな気分になれました。
それはほんのちょっとした間だけです。

残念ながらすぐ冷静になって考えてしまいました。
そのことはいままでずっとあったことで、最近になって変わったことではありません。
前の職場はそんなに忙しくなかったので、だいたいいつも一緒に食事をしていました。

ということは幸福感などの思いは、その出来事の内容からくるのではないというこです。
それは元々心の奥にあるものが、その時の何かのものを伴って出てくるということみたいです。
その出来事の内容が絶対的なものではないということです。

こんなことを考えていると、何かせっかくの幸福感が台無しでもったいない気がしてきました。(^^;
でもこれは仕組み的には単純にこうですよね。
その人の気持ちは端から見ただけではわからないということです。

それでは幸福感はほんとは何からくるのでしょうか。
今思うには心の波動からくるのではないかと思うのです。
風呂に入って疲れが抜けて、雑念が取り払われ波動がよくなった、それでその波動から幸福感が起こってきた、こんな感じでしょうか。

近頃今を肯定しようとしている成果がでてきたように思います。
でもあまり考えすぎると楽しくないですね。(^^;
今までどおり単純にやります。
# by human-space | 2005-07-12 21:42 | diary | Comments(0)
パーティシャッフルとは、MacのiTuneという音楽ソフトの再生機能のことです。
これは保存してある曲をランダムに再生させます。
ただこれだけのことですが、思わぬ価値を生み出しています。

パーティシャッフルにして聞いていると、次に何がかかるかわかりません。
忘れていた名曲がかかったり、ほとんど記憶ない曲がかかったり、ただ曲の順番が変わっているだけなのですが、思わぬ喜びを感じます。

私は1年以上iPodで昼休み毎日聞いていますが、飽きることがありません。
毎日思わぬ発見です。
毎日が新鮮です。

昨日これを書いているとき、ふと浮かびました。
ああこの人生もパーティシャッフルみたいなものだ、と。
瞬間瞬間、思わぬことが起こってきます。

それの連続です。
規則正しい生活を送っているようで、個々のことは思いがけないいろいろなことが起こってきます。
今まではその都度あわてていました。

人生は思わぬことの連続、と心がけていれば、あわてることもありません。
最初からこんなもんだと思っていれば、そのひとつひとつを楽しむ余裕ができます。
何が出てくるかお楽しみというわけです。

どうも先のことはわからないほうがいいみたいです。
わかっていたら面白くないですよね。
この人生、そういう仕組みになっているみたいです。

起こってくることを単純に楽しむようにします。
それがこの世界のやりかたのようです。
面倒くさいことは宇宙に任せていればいいです。
# by human-space | 2005-07-11 20:51 | diary | Comments(2)
今日こんな言葉を思いつきました。
この森に迷い込んだらなかなか出て来れません。
右も左もわからなくなってしまいます。

今進んでいる方向が合っているかわからなくなります。
このままでいいんだろうか不安になります。
ちゃんと方角を示すコンパスが必要です。

これさえあれば今茂みの中を進んでいても、そのうち思っているところに出てくるだろうと安心して進めます。
なければ不安になって、進めなくなりどちらも動けなくなってしまいます。

いま自分がどこにいて、どちらに進んでいるのだろうか。
このナビゲーションが知識です。
この知識があると今どこにいるのかわかります。
そしてどっちに方に行ったらいいのかわかります。

マハリシは闇の中のろうそくの炎だといいました。
闇の中で自分の進む方角を照らしてくれます。
これほど勇気を与えてくれるものはありません。

でも知識だけでは何もなりません。
知識はただ方向を示してくれるだけです。
そこから動いていくのは自分です。

知識を持っているだけでは何でもありません。
それを使っていってこそ役立つものです。
日常の生活で使えることです。

逆に言うと、日常の生活に使えなければ本当の知識ではありません。
真実ではありません。
本当の知識を求めています。

それはだれでも持っているはずですが、気がついていないだけではないかと思っています。
目の前にあるはずで、常識という色眼鏡さえ外せば見えてくるはずです。

ちょっと見方を変えるだけです。
すぐ隣にいるのに気がつかないのです。
ではどうすれば気がつくのでしょう。

本を読んだり、講演を聴いたりしてみるのいいでしょう。
もちろんそれはそれで有効な方法です。
でもそれはあくまで最大公約数であって、自分にほんとうに役に立つかどうかはわかりません。

本当にいまの自分に役に立つ知識は、自分の内からくる「気づき」だと思うのです。
自分の内から、ああこうだったんだ、という気づきこそ自分の今の状態にぴったりの知識です。
それこそがいま自分が何をすべきかを示してくれています。

普通は自我がいろいろ考えてどうすべきか決めますが、当たることもあるし外れることもあります。
自我は過去の経験から計算しますが、この混沌としてきた未来を占うのはかなりあやしくなってきています。
カタカタといっているコンピューターみたいです。

そこは宇宙のコンピューターにまかせるのがいいみたいです。
それは宇宙全体がわかってるので、そこから自分の行動を割り出すので間違いありません。
自我のように自分しかわかっていないのと違います。

ただそれはいつどのようにわかるのかがわかりません。
そこがちょっと気になります。
それに全面的に頼るのはさすがにまだまだです。

やはり自我の知識はまだまだ必要です。
それなくしては今の生活はできません。
一気にやろうとしているのではありません。

少しずつ新しい知識を取り入れていこうと思っています。
新しいやり方でやっていこうと思っています。
そういった環境を整えていこうと思っています。

ではどうするのかというと、単純には「何も考えない」です。(^^;;;
どうもこれが話が早いようなのです。
ともかく自我の介入をできるだけ減らすのです。

自我の考えが少なければ、それだけ宇宙の考えが浮かんできやすくなります。
本当の知識ですね。
直感というやつです。

頭のなかに占める割合を増やしてやるようにします。
直感で行動する、です。
面倒くさくいっていますが、こんなことを言わなくてもできている人はいます。

自然にやっている人は大勢いると思います。
ただ意識しているかどうかだけです。
思いついたことをすぐ行動できる人です。

こうして書いていたら、まさにマハリシにいっている闇の中のろうそくの炎というのがぴったりの表現に思えてきました。
闇の中でぽっと浮かんできた炎の明かりの方向に進んでいく。
そしたらまた別の方から炎が見えた。

それでまたその方向に進んでいく。
残念ながらつねに闇に覆われていて全体は見えなくて、すべてのことはわからないけれども必要なことはその炎が照らしてくれて見える。
そこさえ見えていれば困ることはない。

人間でいる限りにおいては全体は見えないようになっているみたいです。
それが見えてしまったらこのゲームはおしまいです。
ここにいる限りは見えなくてもいいのです。

それがこのゲームの仕組みです。
あわててすべてをわかろうとする必要はありません。
目の前のことだけをやっていく、それでいいみたいです。

現実的にはちょっとスピードを落とす必要がありそうです。
ちょっと早すぎます。
時間を取って想念観察や瞑想をするなど、落ち着く時間をつくることです。

自分の内側が何を考えているのか、どうなっているのか見てみることです。
外側のことに気がいき過ぎています。
外側のことより、まず内側です。

今までは外側を何とかしようとしてきました。
これにはきりがありません。
してはいけないというのではありません。

外側に何かするためにここにきているのですから。
ただ行き過ぎをやめようとしているのです。
内側さえできてくれば、外側は自然にできてきます。

まずは内側を見つめ直す。
そうすれば自然と直感的になってきます。
炎がぽっぽっと現れてきます。

何も考えずそれに従っていく、そんな生活です。
まるで仙人みたいですね。(^^;
その方向にシフトしていきます。

それで何度も言っているように、目的はその仙人ではなくて、その過程です。
その変化していくプロセスです。
そのプロセスこそ目的です。

その体験こそ目的です。
仙人になるためにこの世界に来たのではありません。
元から仙人なのですから。

もうなっています。
それになる過程を体験するするために、ここにきているのです。
ですから目の前の体験が大事です。

必要でないことはひとつもありません。
今の体験こそこれからの体験のために必要なのです。
仙人でない体験が必要なのです。

そのことを理解したとき、次の変化ができます。
それがわからないうちは、いつまでも相対世界の森の中をさまようことになります。
もちろんさまようことは必要は体験ですが、それはいつでもそこから抜けることができます。

自分でもうこの経験は十分に体験したと思ったなら抜ければいいのです。
それがわるいことでなく、自分にとって必要な体験だったとわかったとき抜けれます。
それ以外完全に抜けるやり方は思いつきません。

私は抜けます。
もうこういった経験は充分できました。
ありがとうございました。

この瞬間、わたしは十分です。
不完全さはありません。
何も問題ありません。

直すところもありません。
しなければいけないこともありません。
完全な自由のなかにあります。
# by human-space | 2005-07-10 15:02 | policy | Comments(0)