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スピリチャル日記3

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より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

きょう朝寝坊をして、うとうとしているときにふと思い浮かびました。
「どちらでもいい」で自由になることができる。

どういうことかというと、どちらでもいいのですから、それでなければいけないということはない、ということになります。
それに縛られないということです。
そのふたつのものに対しては、どちらからも自由になれます。

これをすべてのことに当てはめることができれば、完全な自由になることができます。
という単純な理屈です。
私はこれは大発見だ、と思ってしまいました。(^^;

これは理屈だけでなくて、実感としても感じています。
最近何かあればずっと使ってきました。
実際役に立ちます。

どちらにしたらいいか迷っていたり、こんなことをやってしまってどうしようなどと思ったとき、そうだ、どちらでもいいだ、と思えると心が晴れてきて、すっきりした気分になれます。
そしてそのことが気にならなくなります。
それからふとその解決法が浮かんできたり、そのまま何もしなくても、何も起らずにすんだりしています。

日常生活に役に立つので、それだけでも十分なのですが、どうもこれはもっと大きな意味をもっているようなのです。
どちらでもいいはその場限りではなく、突き詰めていけば自由になっていくと思えました。
とりあえずは目の前の困ったことに使っていますが、行き着く先は自由ということになります。

何ものにも縛られないということは自由である、ということで間違いないはずです。
これはただ頭のなかだけのやりくりではありません。
これこそが本当の自由を手に入れるということではないでしょうか。

物質的なもので完全に自由になることはできません。
これは間違いありません。
お金があれば自由になれると思われますが、ちょっと考えてみればそうではないことはすぐわかります。

お金はいらないといっているわけではありません。
お金があることに越したことはありません。
私もお金は欲しいです。(^^;

ただ完全な自由をえるには別の方法が必要です。
いろいろな方法があると思いますが、私がいま思っているのは、この「どちらでもいい」が簡単で、何でも使えてとても便利です。

今日のようにゆったりしているときに、ちょっと考えてみると、これはずごいことではないかと思われます。
現在の環境も100%満足しているわけではありませんが、どちらでもいいんだ、と思えると直さなければいけないということがなくなって、このままでもいいんだ、という気になります。
もちろん自分の思うように変わってもいいけれども、このままでもいい、という感じです。

もっといえば、どちらでもいいので、どうしてもしなければいけないこともない、ということになります。
いまこの瞬間に、しなければいけないことはない、ということになります。
するのは、ただ自分がしたいからするだけ、ということです。

これってひょっとしたら、悟りってこと?! 
いつのまにかここに行き着いてしまいました。
少なくとも理論上はです。

もちろん現実の生活では、まだまだすっきりといっているわけではありません。
ただ方向は間違いありません。
これを続けていけばいいです。

これで先が見えてきました。
遠いあこがれの存在から、現実的なところまでおりてきている感じです。
前にもいっていましたが、マラソンでいう先頭集団の後ろ姿が見えてきた感じです。

今までははるか先をいっていて、影も形もわかりませんでした。
あとはただそれを目指した走るだけです。
ゴールはあそこにあります。
# by human-space | 2005-03-13 14:24 | policy | Comments(0)
きょうは朝9時半頃まで寝て、睡眠時間を充分とったのにイライラしています。
ちょっと言われると、すぐムカムカしてしまいます。
そろそろ花粉の症状が出てきて、神経を刺激しているのでしょうか。

こういうときはどうしたらいいのでしょう。
とりあえず、これも自分にとって必要なことが起こっているんだと、納得させています。
そしたらムカムカするのを外に向けずに、何とか無難に過ごせます。

それといつものお気楽瞑想をしたら、ちょっと落ち着きました。
椅子の座って目をつむって、じっとしているだけです。
全然テクニックは使いません。

想念も浮かぶままにしています。
気になれば体も動かしますし、自由にしています。
それでも終わってみれば、少しは気が落ち着いてきているようです。

イライラ、ムカムカしているのは、自分の一部であって、すべてではないと思えるようになりました。
そう思えると、すこし冷静になれました。
これだけでもよかったです。
# by human-space | 2005-03-12 15:59 | diary | Comments(0)
きょうは仕事でジタバタしそうになるのをこらえられました。
いつもだったらバタバタして何をしているのやら、というようになるところでした。

きょうはやななければと思うことがあって、動こうとしたら電話が掛かってきました。
これで動けなくなって、その間にそうだジタバタするのは格好わるいぞ、と思いが浮かんできました。
それで動かなかったたら、結局何も起りませんでした。

そして夕方には、その件は問題でなくなっていました。
あのとき動いていたら、その問題に巻き込まれて、バタバタしていたかもしれません。
面倒なことになっていたかもしれません。

あのとき、ここでバタバタするのは格好わるいぞというのが、行動の基準になりました。
恰好わるいことはしないようにする、ということが実践できました。
細かいことですが、やれたーという気になれました。
これからも目の前のことを、ひとつひとつやっていきます。
# by human-space | 2005-03-11 22:42 | diary | Comments(0)
自分の内側レベルで、ちょっと恰好いいことができました。
といってもかなり個人的なことで、とても詳しく書けるようなものではありません。
けっこう情けないことで迷っていたのですが、いつもの「どちらでもいい」をやっていると、ふと迷案?が浮かんできて、それをやってみました。

自分としてはあたふたしないで、まあまあやれたのではないかと思います。
自分の中では安易な妥協をしないようにしました。
ちょっと満足。
# by human-space | 2005-03-11 00:49 | diary | Comments(0)
きょうの通勤の車のなかで思ったことです。
いまここの自分がベストの状態でいるということです。
それは自我が今どのように思っていてもです。

いまここです。
何年か先の頭のなかにある理想の自分ではありません。
いまここにいる自分です。

いまここがベストだといっても、そのままずっといいなければいけないというのはありません。
別のベストの状態に変わっていくだけです。

難しく考える必要はありません。
単純なことです。
ずっとベストの状態なのですから。

つまりベストの状態しかなりえないのです。
ここに存在しているということ自体がたいへんなことなのです。
存在していないということは、無なのです。

中途半端はないのです。
存在しているか、無かしかないのです。
存在しているというのは、たいへんなことなのです。

あるのとないのでは全然違います。
ですから在るというのは偶然ではなく必然なのです。
何か理由があって、いまここにいるのです。

その理由がわからないため、ベストだと思えないだけです。
こころの奥底がわかれば、その理由がわかるでしょう。
それがわかれば、この世界は完全に機能していることがわかります。

いまここは完全な状態ということになります。
いまここの私は完全に機能しています。
何も直すところはありません。

いま完全に働いている機能を生かして、やっていけばいいのです。
今までもそうでした。
何も反省するところはありません。

何も心配することもありません。
機能はつねに完全であるので、失敗はありません。
機能しないというのはありません。

機能しない、イコール、この世界の崩壊ということになります。
この世界が在ることが完全である証拠です。
いま個々にいる事自体が、完全なのです。

長くなってしまいましたが、いまここの私は完全に力を発揮できる状態だといことです。
どこかを直さなければいけないというのはありません。

ですから何も考える必要もなく、したいことができる状態なのです。
いまここから、やっていきます。
いまここです。

PS
眠くなって頭のなかで焦点がうまく結ばなくなってきました。
書いているうちに、ちょっと最初思っていたのと違う方向にいってしまいました。
また眠くないときに書いてみます。
# by human-space | 2005-03-09 23:01 | diary | Comments(0)
きょうはISDNからアナログ回線への工事があって、その空いた時間で軽く瞑想しました。
そのせいか安定していて、恰好いいことこそありませんでしたが、格好わるいこともありませんでした。
きょうはまずまずかなあと思っていた矢先、ちょっと油断してしまい、いらん気を使ってしまいました。

そしたらちょっとしたトラブルが。
あーあ、何で自分でやろうとしてしまうのかなあ、自分がしなくてもいいのに。
やはり癖になっているものは、意識してやらないと直りませんね。
慣れてくると無意識でできるのでしょうが、それまでは意識しておく必要がありそうです。

明日からまたやります。
恰好よく。
# by human-space | 2005-03-08 22:11 | diary | Comments(0)
近頃これを意識しています。
精神的にも物質的にもです。
何かしようとするとき、恰好いいかどうか考えてやっています。

といってももちろん、物質的には二枚目でもなく、おしゃれという訳でもありません。
ただ何かをしようとするとき、これが恰好がいいかどうかで判断しているということです。
といおうか、これは恰好わるいなあ、と思うことはしないようにしています。

この恰好いいは、個人によって全然違います。
私の恰好いいは、あの人から見れば恰好よくないということは当たり前です。
ですから物質的なことでも、結局はこころの問題ということになります。

最近はとくに精神的な恰好よさを意識しています。
これは外から見えませんから、本当に自分の意識の問題です。
見栄ではなくて、自分のためにやっています。

自分が満足できるかどうかです。
なにが恰好いいかといわれても、さっとは言えませんが、恰好わるいことはわかります。
昨日やった、ジタバタすることや心配することは、間違いなく恰好わるいです。

とくに精神的なことでは、恰好いいことというよりも、恰好わるいことをしないようにすることを意識してる感じです。
最近やっと頭のなかがだんだんと整理されてきて、こんなことができるようになりました。
前はぐちゃぐちゃで、訳が分からない状態でした。

それこそ何をやっているのやらです。
それからみると、おっちょっと進歩しているなあ、という感じです。
精神的なことを、意識的に選択できるようになりました。

もちろん相変わらず今までのような想念や感情は起ってきますが、それが引いていくのが早くなって、いつまでも頭のなかを占めなくなりました。
一時的ですが、ニュートラルな状態になることができるようになりました。
前はいつでも想念や感情が頭のなかを渦巻いていました。

これからです。
とくに転勤とか年度末とかあってゴタゴタしているときこそ恰好よくやっていきます。
これこそ恰好いいですね。

あと物質的には車です。
プジョーの307ccなんか恰好いいですね。
全然進歩していない? (^^;
# by human-space | 2005-03-08 08:50 | diary | Comments(0)
自分からジタバタすることと心配です。
これをいつの間にかやっています。

自我は自分で何とかしなくては、といつも思っています。
してはいけないという訳ではありませんが、できるだけやらないようにしています。
実際は自分がジタバタしなくても、何とかなる場合が多いです。

まだまだ焦って自分でやってしまいますが、我慢して?やらないようにします。
自分がじってしていても、うまくいっていく体験を増やしていきたいと思います。
これはこれからです。

それと最近よくやっているのが心配です。
転勤が決まったので、どうしても先の心配が起ってきます。
ほんとしょっちゅう浮かんできます。

気がつけばやめるようにしていますが、まあ次から次へ浮かんできます。
これはその都度対処するしかありません。

きょう転勤の内示の朝方は、心配ごとの夢まで見てしまいました。
それでも夢のなかで、ああ心配している夢を見ているなあ、という自覚がありました。
これも想念観察のたまもの?

とりあえずこの二つは意識してやっていきます。
年度末、バタバタしやすいので気をつけていきます。
# by human-space | 2005-03-07 23:02 | diary | Comments(0)
最近いろいろと書いてきましたが、ちょっと1回整理したいと思います。
日々思いつくままに書いていて、つながりなどは全然考えていません。
それが後で読み返してみると、けっこう手順どおりにいっているみたいです。

まずは、「どちらでもいい」というやり方で頭のなかをすっきりとさせます。
今まで悩んでいたことは、この「どちらでもいい」をやると割とうまく解決することができます。
これは何にでも使えます。

どうしたらいいのだろうか、と悩むことがあったら使ってみてください。
どっちでもいいんだ、と思えたらOKです。
それでその想念は頭から離れていきます。

前にも書きましたが、もともと問題というものはないのです。
ですから問題を解決しているのではありません。
ただ頭のなかの認識を変えているだけです。

これは頭のなかを空っぽにするための方法のひとつです。
頭のなかが自我の想念から解放されれば、本来の状態になります。
元々の至福感が感じられるようになります。

この至福感を感じられるようになれば、この物質世界を楽に生きることができるようになります。
幸福になろうとして、何かをしなければいけないということはありません。
それは元々あるのですから、ただそれを感じることができるようにすればいいだけです。

それはちょっと自我に静かにしてもらうだけでいいのです。
それにはいろいろな方法があるでしょうが、私はこの「どちらでもいい」がうまくいきます。
けっこういろいろな場面に使えます。

困ったときの呪文みたいです。
あとよく言われる「ありがとうございます」も使います。
苦しいと感じるときこそ、これを使うときです。

苦しい状況のときは他のせいにしたくなりますが、それは自分が成長するために設定されたレッスンだ、と思い込みます。
このような状況をつくっていただいて「ありがとうございます」という感じです。
これも頭のなかの感情を早く解放させる方法です。

こうして頭のなかがスカスカになってくれば、至福感が顔を出してきます。
こうなってくれば、あまり考える必要はありません。
自然に思いどおりやればうまくいくでしょう。

その至福感に基づいて考えているのですから、変なことは思いつかなくなります。
行動もそうなってきます。
これが基本的な生き方のひとつではないでしょうか。

やっと入り口にたどり着いた気がします。
これから検証していきます。
毎日毎日です。
# by human-space | 2005-03-06 21:12 | policy | Comments(0)
この前の富良野のときに、快適だなあ、と感じました。
このときは単にホテルやスキーとしての快適さでした。
それから帰ってきてからも、まだその快適感が残っています。

もちろんそれがずっと続いているわけではありません。
普通にいままでどおり生活していても、たまにふと、ああ快適だなあと思うことがあります。
これこれ、これだと思いました。

スキーのときのように特別なときだけでなく、普段の生活でも感じるようにする感覚です。
今それを感じています。
今日は休みで、ゆっくりと好きな音楽を聴きながらインターネットをしています。
別にどうっていうことではないのですが、なんか快適な気がしています。

この感覚です。
ずっとこればっかりという訳ではありませんが、基本的にはこの感覚でいれば生活は余裕を持って、ゆったりと楽しむことができます。
これをキープしていきます。

この快適さは、なろうとしてなれるものではないと思います。
それは今までやってきた、頭を空っぽにするから来ているのではないかと思うのです。
頭のなかが空っぽになって、過去や未来の心配事を感じなくなってので、この快適感がこころの表面に上がってきたのではないかと思います。

これは人生のひとつの解ですね。
この物質世界を生きていくうえで必要なものではないかと思います。
これを基盤にしてこの世界を楽しむことができます。

これは静かな湖面を小舟でゆったりと楽しみながら進んでいるような感じです。
逆にこれがなければ、嵐の中を進んでいる小舟になってしまいます。
今まで、これでした。

今からは、違います。
この人生を楽しんでいきます。
気楽にゆったりと。

PS
ここでいう快適感は、さっきいったホテルやスキーの快適さとちょっと違います。
何ていおうか、あー快適、と思うような表面的なものだけではなくて、こころの奥にある安心感というようなものからきている快適感のことです。
こころの奥のほうまでつながっています。

ですからスキーとか個々の表面的なことがきっかけではなく、もっと奥にまず快適感があって、それが表面上のスキーとかホテルとかに現れてくるといった感じです。
今ふとそう思ったので付け加えておきます。
# by human-space | 2005-03-05 14:14 | policy | Comments(0)