一日一日を大事にしていない
休日が続いたのに、のんべんだらりんとしていました。
自覚はしているものの、はっきり言われるとムカっとくるものがあります。
今までだったらこのままだったと思いますが、これからはちょっと考えることにします。
これはどういうことだろう。
引っかかることがあるときは、何か進化するためのとっかかりがあるはずです。
やらなければならないことがあるのにできていないとき、そうとわかるように周りが教えてくれる。
言っている本人からみると思ったことを普通に言っているだけでしょうが、わたしの側から見ると、その注意をわたしにはっきりとわかるようにこのような形で現れてきた、ということになるのでしょうか。
そう思うと冷静でいられます。
この宇宙では完璧なことしか起こり得ないみたいです。
宇宙の法則に反したことは起こりません。
普通に言う悪いことは起こらないのです。
ただそれはかなり高いレベルから見たら完璧だというもので、普通の見方から見ればとてもそうは見えません。
完璧だと見るためには、見方を変える必要があります。
この物質的見地からではなくて、精神的、もっといえば魂的見地からです。
「神との対話」を読んでいると、そこのところが何となくわかってきました。
簡単に言うと、起っているすべてのことは進化するのに必要なことが起っているということです。
そして言っていることは「どんなことでもその出来事のなかに完璧性を見るようにしなさい」、です。
簡単に言っているようですが、そのなかには非常に多くのことが含まれているような気がします。
そして、やさしい。
その言葉のなかに慈悲の心を感じるのはわたしだけでしょうか。
やさしくて、この一言に大きな意味のことがすべて含まれている。
ほんとにこういうことをさらりと言えるのは、すべてがわかっている神だけではないでしょうか。
ともかく、今は周りのことばかり気にして、ほんとうの自分のことができていない、ということみたいです。
気をつけなくては。
今からでも意識してやっていきます。