「神との対話」を読んでいて、この相対世界があるわけが腑に落ちました。
今までもこのことは、ここに散々書いてきました。
それでわかっているつもりでも、わかってなかったということです。
この相対世界があるのは、神が自分自身を知りたかったので創ったということです。
対照的な善と悪など、比較するものがなければ、それがどんなものであるか理解できません。
ただ天国しかない世界にいると、それに気づけなく、そこは天国であるかどうかさえ分からないのです。
そのために神はこの相対世界を創ったのです。
そうすると、悪を知ることで、善とはどんなものか体験できるのです。
そういうことをやっていくことで、自分自身がどんなものか知ろうとしているのです。
それで今この相対世界があります。
この根本的考えが、今日腑に落ちました。
本当にわかるというのは、すぐにはいかないものです。
潜在意識が書き変わるのは、繰り返ししかないということを実感させられます。
ともかく何事も腑に落ちるまでやるしかありません。
そしたら今回のように、この文章を読んだ時、突然腑に落ちました。
『神との対話2』ニール・ドナルド・ウォルシュ著
実際、アダムの堕落といわれる出来事がなければ、善悪の二つの可能性も存在しなかった。「悪」はなく、誰もが、何もかもが、つねに完璧な状態で存在していた。文字とおり、パラダイス、天国だ。だが、そこがパラダイスであることもわからなかっただろうー完璧さとして経験することもできなかった。他のことは何も知らなかったからだ。 アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?