本当の世界は一度に全部見えてしまうため、全体は見えますが、中身が細かく見えません。
自分自身を細かく分解して、詳しく見るため、時間ができました。
今の瞬間があるために、そこに意識を集中できるからです。
「神との対話3」でこう書かれています。
あなたがたが理解しているような時間は存在しない。「時間」という現象は、視点の問題なのだ。
どうして、身体のなかに宿っているときには、時間が存在するのですか?
現在という視点に入りこんで、その視点で見るからだ。その視点を道具として使うと、ひとつの出来事を分解し、徹底的に探究し、検討できる。 生命はひとつの出来事であり、宇宙でたったいま起こっている。すべては一度に起こっている。あらゆる場所で。「時間」はないが、「いま」はある。「場所」はないが、「ここ」はある。
いま、そしてここ、それが存在するすべてだ。
だが、あなたがたは「ここ」と「いま」のすばらしさを細かく経験することを選んだ。いまここで現実を創造するものとしての聖なる自己を経験しようとした。それができるのは二つ、経験の二つの分野しかない。「時間」と「場所」だ。この素晴らしい思いつきに、あなたがたは文字どおり爆発的な喜びを感じた!爆発的な喜びのなかで、あなたは自分の各部分あいだに「場所」を創造し、ある部分からある部分に移動するのにかかる「時間」を創り出した。
こうして、あなたはひとつひとつを眺めるために、自分自身をまさしくばらばらに分解した。幸せのあまり「ばらばらに」なったと言っていい。それ以来、あなたはばらばらになった自分を拾い集めているのだよ。
あなたが自分をばらばらにできた、つまり不可分のものを分解できたのは、時間という仕掛けのおかげだ。この仕掛けを使って自分を創造しつつ、もっと徹底的に見つめ、経験しようとしたのだ。
顕微鏡でモノを観察すると、それがほんとうは個体ではなく、数百万もの現象の複合体出ることがわかる。いっぺんにさまざまなことが起こり、それが大きな現象として現れていることがわかる。 あなたは、魂を観察する顕微鏡として「時間」を利用しているのだ。