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スピリチャル日記

humanspace.exblog.jp

より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

人間は、岩のなかで、猛スピードで飛び回っている粒子と同じようなもの

岩の中を猛スピードで飛び回っている粒子には時間がありますが、岩から見れば動かなく、時間もありません。
どちらも同じです。
ただ視点が違うだけです。

岩の例えでいうと、粒子である人間も、岩である神と言われる所以です。
全体を見ているか、部分を見ているかだけの違いです。
どちらもひとつのものです。

「神との対話3」でこう書かれています。

生命は一瞬一瞬の連なりであり、信じられないほど早い動きだ。この動きは、存在するすべての不動性にまったく影響を及ぼさない。岩の原子と同じで、その動きがあなたの目の前の静止状態を創っている。
この距離から見れば、ばらばらなものは何もない。ありえない。「存在するすべて」、あるのはそれだけでほかには何もない。わたしは、動かない動かし手だ。 「存在するすべて」を見るあなたの限られた視点からは、動かない「ひとつ」の存在ではなく、ばらばらな部分、つねに動きつづけるおびただしい存在が見える。どちらの視点も正しい。どちらの現実も「真実」だ。

では、説明させてください。

どうぞ。

大きな視点から見れば、ばらばらなものはない。「向こう側」から見れば、部分ではなく全体が見える。足ものとの岩のように、完全で完璧な全体として存在している。ところが、岩を意識したほんの一瞬にも、岩のなかではさまざまなことが起こっている。信じられないスピードで、岩の各部が動いている。その部分部分は何をしているのか?岩を岩としてつくりあげているんです。
岩を見ても、そのプロセスは見えない。理屈ではわかっていても、すべては「いま」目の前にある。岩は岩になりつつあるのではなくて、岩としてある。たったいま、目の前に岩がある。 だが、岩の中の分子よりもっと小さな粒子の意識になると、猛スピードで「ここ」から「あそこ」へと移動している自分を経験する。岩の外から「何もかも一瞬のうちの出来事だよ」と声をかけられれば、嘘だ、ほらを吹いちゃいけない、と思うでしょう。
ところが、遠くから見れば、岩の各部分がばらばらで、しかも猛スピードで走りまわっているなんて、これこそ嘘だと思う。遠くからは、近くでは見えないものが見える。つまり、すべては「ひとつ」で、すべての動きがじつは何も動かしていないことがわかる。

そうそう、そのとおり。よくわかったじゃないか。あなたが言うのは、生命とは視点の問題だということだ。あなたの言葉は正しい。この真実を見つめていけば、神の大きな現実もわかってくるだろうし、全宇宙の秘密の鍵も見つかるだろう。すべては同じだということだ。

宇宙は神の身体だったんですね。



by human-space | 2023-05-02 12:22 | (3)「神との対話」を読んで | Comments(0)