「神との対話3」からです。
本当に深いことが書かれています。
ここを読んで考え込んでしまいました。
今だいぶんスピリチャルの理屈がわかってきました。
そこでスピリチャルの理解度を試されています。
その理解が深まらない限り、いくら理屈がわかっても、現実に役に立ちません。
真実が分かったとしても、明日の行動まではなかなか変えられません。
理解度が高くないのです。
ただ方向性がわかるので、とんでもないところ行くことはなくなります。
覚醒レベルの理解度までは、この生ではとても行けそうもありません。
そうなると、聖書や経典、スピリチャルの本に書かれてあるような理想的な行動は取れません。
そうなると、この現生で四苦八苦するしかありません。
その覚悟が必要です。
そのつもりでいなくてはいけません。
ですから、うまくやれなくても嘆かないことです。
自分や他人に厳しくしないことです。
それが当たり前なのです。
うまくやれないことを考えるのではなくて、楽しいことを考えるようにします。
神は楽しめるようにこの世界を創ってくれています。
それでこのゲームを続けられるのです。
先は長いです。
覚醒することがいいのではありません。
現実を心から楽しめていたら、スピリチャルとして正しい道を歩んでいます。
この地球にはそんな人が大勢いいます。
それなら多くの人が出来ているのです。
やれば出来ます。
それでいいのです。
ともかく忘却の彼方の、もうちっぽけな自分に戻りたくはありません。
どこまでやれるかわかりませんが、やれることはやっていきます。
これからは正しい道を歩んでいきます。
しかし、お言葉を返すようですが・・・・誰かと一緒にいるとき、たとえば妻や子供たちといるとき、わたしと彼らは別人だと感じます。彼らは「わたし」じゃないと思うんですが。
意識とはすばらしいものだ。何千にも何百万にも、分割することができる。わたしは、無限の「かけら」に自分を分解した。それぞれの「かけら」が自分を振り返り、自分は何者であるかと考えられるように。
しかし、なぜ、わたしはこの忘却の期間、不信の期間を通らなくてはいけないんでしょうか?だって、まだ完全には信じられないんですよ!まだ、忘却のなかをうろうろしているんだ。
そう、自分に厳しくしないでいい。それもプロセスの一環だから。それでいいのだよ。
それでは、どうしていま、教えてくださるんですか?
それは、あなたが楽しめなくなっているからだ。人生がもう楽しみではなくなり始めているからだ。あなたは、プロセスに足をとられ、それがプロセスに過ぎないことを忘れかけている。
だから、あなたはわたしを呼んだ。きてくれと頼んだ。理解を助けてくれ、偉大な秘密を明かしてくれと求めた。あなたが自分に隠しつづけている、本当のあなたは何者かという真実を。
だから明かしたのだよ。これで、あなたはふたたび思い出した。それが意味をもつだろうか?あなたの明日の行動を変えるだろうか?
傷ついたものを癒し、不安におののくものをなだめ、貧しいものニーズを満たし、成就した者の素晴らしさを祝い、あらゆるところにわたしのヴィジョンを見るだろうか?いま、真実を思い出したところで、あなたの人生は変わるだろうか?
他の者の人生を変えてやれるだろうか?それとも、また忘却に戻るかな?身勝手におちいり、この目覚めの前に考えていたちっぽけな自分にふたたび戻って、そこにとどまるだろうか?どっちになるのだろうね?