スピリチャル、スピリチャルと大袈裟に言っているのが恥ずかしくなる
昨日NHKのテレビ番組で、いつもの「サラメシ」を見ました。
この番組を見るたび、ご飯は大切なものだと実感します。
その中で元ホテルの料理長をやって、その後にUSJに勤め、そこで退職した人がいました。
今は家の喫茶店を手伝っていたのですが、そこの職員食堂を直営でやるようになって、それを手伝ってほしと声がかかりました。
本人は前からやってみたいと思っていたようですが、それまでは外部委託していました。
そこで彼は、その社員食堂で出すメニューのレシピを考えることをやってました。
前から自分がやりたいと思いたことなので、心を込めてやっています。
そのインタビューで、ホテルの数万円の料理も、ここの数百円料理も、大事なのは心がこもっているかどうかだと言っていました。
その時、この人は波動が高い人だと思いました。
そしていつもスピリチャル、スピリチャルと大袈裟に言っている自分が恥ずかしくなりました。
そうです。
一番大事なのは、こんな波動が高くいれているかです。
スピリチャルの知識をいくら知っていかどうかではありません。
痛いところをつかれた、と思いました。
わかっているつもりではいますが、改めてそう実感しました。
そう出来ている人に、スピリチャルのことを大袈裟に言う必要もありません。
それが一番だと思います。
でも私のように波動が低い人は、自分で努力して上げていくしかありません。
今更羨んでも仕方がありません。
例え大袈裟になっても、自分なりにやっていくしかありません。
誰に何と言われようとも、今までのとおり続けていきます。
幸いに、少しずつ波動は上がってきていると思います。
でも先ほど人を見ていると、まだまだです。
残念ながら、いくらスピリチャルの知識がついても、波動はすぐには上がりません。
そこは気長にやっていくしかありません。
あまり考えすぎず、自分の思うようにやっています。
それしかありません。