昨日の夜中に目が覚めて、ちょっと考え事をしていました。
その時ふと思いました。
起きてくる怒りの感情やお腹の空腹感は、肉体の自分から出ています。
本来の自分は魂ですから、それらは自分ではありません。
でもそれが自分だと思ってしまうのです。
こうやって何でもない時に考えれてみればそう思えますが、現実の中ではそのことが頭から飛んでいってしまいます。
でもこれらは本当の自分ではないのです。
ですから深刻に考えることはないのです。
今はそれをただ体験しにきているだけです。
こんな感情は、この物質世界にしかありません。
肉体がなければ、その感情は起きてきません。
それがどんなものか体験したくて、ここに来ているのです。
前に書いたことのある映画の中の堕天使は、羽を落としてこの地上回に降りてきて、ベルリンの冬の寒さ中で、コーヒーの熱さとはこんなものだったんだとわかりました。
そんな体験をしにきているのです。
感情もそのひとつです。
それを自分の全てだと思い込まないようにすることです。
でもそれはなかなか出来ません。
昨日は自分がそれらの感情から、頭一つ抜けたところにいるように思えました。
まさに上から見下ろすような感じでした。
この感覚があれば、冷静にそれらを見れます。
素晴らしい感覚でした。
でもまだまだずっとは思いないのです。
今朝起きたら、もう普通のどおりでした。
こうやって意識してみて、何とか思い出せました。
それがずっと出来るようになれば、覚醒したことになるのでしょう。
それはなかなか出来そうもありません。
そんな達観した境地からこの現実世界を生きるのは、まさに現実的ではありません。
やれるのは、それらの感情を体験していると考えることです。
それは自分が望んでそうしているのです。
ですから散々体験していけばいいのです。
それはいい感情だけでなく、悪い感情もです。
両方を体験しないと、片方だけではわからないのです。
堕天使がベルリンの寒さとコーヒーの熱さを体験したようにです。
ですから悪い感情が起きた時も、悪ことがきているのではありません。
その悪い感情を体験しないと、いい感情も体験できないからです。
そういう相対世界に今います。
そう思って、どんな感情が起きてきて、それを批判しません。
どんな感情も必要なことです。
喜んでまではできませんが、受け入れていきます。
これでだいぶん感情に対する偏見が少なくなってきました。
これでこの現実世界に対応していきます。
ちょっとやれそうな気がしてきました。