知識では悟れない
知識は思考のなかにあるので、そのなかにいるうちは悟れません。
悟りは思考の外にあるからです。
このことは考えればわかると思います。
思考の外にいるとき悟れます。
思考の外=今にいるときです。
今にいるとき、悟ってるということになります。
私が今悟っているわけではないので(ある瞬間はそんなときがあるかもしれません)、ここのところははっきりとわかりません。
間違いないのは思考(=知識)のなかにいるときは、悟れないということです。
では知識は無駄かというと、もちろんそんなことはないと思います。
悟っていない人が悟るためには、悟りへ方向付けする必要があります。
それには知識が必要です。
悟っていない人が何もしないのでは、その状態のままです。
悟りの方向に進む必要があります。
そのやり方の知識は必要です。
ただ最後はその知識を手放す必要があります。
意識が思考(=知識)から離れたとき、悟れるからです。
悟りは知識ではなく感覚です。
前にも言いいましたが、蜂蜜の甘さは本をいくら読んでもわかりません。
実際に食べてみないとわかりません。
悟りも体験することが必要です。
ではどうやれば悟りを体験できるのでしょうか。
瞑想?、ヒーリング?、スピリチャルな体験?
どれもそのうちにひとつでしょう。
私が今これだと思うのは、いつも言っている「今にいること」です。
それは思考の外にいることになります。
日々自分の想念を観察して、自分が想念と一体にならないようにしておくことです。
思考や感情と一体にならないようにしておくことです。
そして今がベストだと思って、今を大事にしておくことです。
先のことはあまり考えずに、今を十分に体験することです。
いま目の前のことに意識を向けておくことです。
この「今にいること」を続けることです。
もし今うまくいっていないと感じるならば、それでいいのです。
今はそういう体験をするときなのでしょう。
そのうまくいかない体験をすることが必要なのです。
自分の神性の素晴らしさを体験するためには、素晴らしくない体験をする必要があるのです。
肉体を持たない状態では神性そのものになっていますが、すべてが素晴らしいのでどれくらい素晴らしいかがわからないのです。
それでわざわざ素晴らしくない体験をするために、制限された力しか使えない肉体を持って生まれてきているのです。
ですからすべての体験は必要なのです。
うまくいかない体験が強ければ強いほど、うまくいったときの喜びは大きくなります。
「今にいる」ことを続けていれば、自然と悟りに行き着くと思っています。
それを続けていたら、気がついたら悟っていたということになるのでしょう。
悟りとは目指すものではく、ただその結果そうなっているだけのものなのかもしれません。
大事なのはその過程です。
感謝の一日さんのブログで紹介されていた有名なマスターの一説です。
「スピリチュアルの道は、悟りという遠い理想を達成することを夢見るよりも、むしろ霊的目覚めという現在進行中のプロセスをいまこの瞬間に体験することなのだ。」
「知識では悟れない」は、ひじょうに同感です。
今は欲張りな実践をしていて(日々取り組む実践が違っています)、試行錯誤の状態ですが、
それは自分で認めています。
でもいつか、human-spaceさんのように、一つに取り組もうと考えています。
深い実践からの気づきをいつもシェアして下さって、ありがとうございます。
悟りたいですね。
それは人によって違うので、一概に何がいいかはわかりません。
それは自分の内側に聞くしかありません。
私も悟って楽になりたいと思っていますが、マスターに言うとおり意識的に考えないようにしています。
まず今の現在進行形を大事にしたいと思っています。