悟りとは得るものでなく、捨てることで自然とそうなる
小林正観さんも本の中ではっきりいっています。
価値観や執着を捨てたときの状態を、悟りというのではないかと思います。
ですから本来人間には誰でもあるものです。
もともとはそういう状態だったのです。
生まれてしばらくしているうちに、いつの間にか価値観をもち、それに執着するようになって、悟りの状態でなくなってしまうのです。
ですから、それらを捨てれば、元の悟りの状態に戻ります。
理屈はこれであっていると思います。
ただ実際にわかっていても簡単に捨てられないので、すぐには悟れないのでしょう。
人のよっては、納得して一瞬で捨てれる人もいるはずです。
本を呼んでいると、そんな人も見受けられます。
そんな人は最初からそのつもりでいたのでしょう。
ともかく、すべてを受け入れれば、捨てれたことになります。
どんなことも受け入れれるということは、どんなことも気にならないということになります。
価値観が消えたということです。
心から「ありがとうございます」といって、受け入れればいいのです。
まずは、「ありがとうございます」といってみることです。
そこから始めます。
言うだけでも、波動がよくなってきます。
今「ありがとうございます」といいます。
言えるのは今しかありません。
何かの価値観があれば
それは制限になってしまう。
ありのままにみるということは
一体となること。
心に制限を設けず
ありのままの入るスペースを空ける。
それが悟りだと思います。
私も悟りは成るものでなく、元々ある状態に移動するという表現のほうがあっていると思います。
悟るときは、瞬間にそういう状態に移動するのしょう。
私も悟ろうとするよりは、ただ価値観や執着を捨てようとしているだけです。
本当に捨てれたとき、自然と悟りの状態になっているのでしょう。