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スピリチャル日記3

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より良い人生を送るために、新しい人間、宇宙観を考えていこうというものです

これもこの本に書いてあったこことですが、悟ろうとするのもひとつの欲望だということです。
悟ろうとすることは、自我がやっています。
つまり思考を使ってやろうとしています。

悟りは思考の外にありますから、思考でやろうと思ってもできません。
それでは何もできないということになるのでしょうか。
あきらめるしかないのでしょうか。

それはこうだと思うのです。
「今にいる」ことが「悟り」の状態になっている、ということです。
ですから今にいれればいいということになります。

「今にいる」ということは、意識が思考の外に出ています。
時間や相対性から抜け出ています。
つまり絶対世界=神の世界にいることになります。

ですから今にいれれば悟っていることになります。
これで悟れました。
何かだまされたみたいですが、理屈は合っていると思います。

では「今にいる」ためにはどうしたらいいのでしょうか。
それは思考や感情を観察して、それらと自分を一体化しないようにすることです。
そうすれば意識が今にいれます。

何かあっけないですね。
いままでやっていたことは何だったんでしょう。
あまりに単純なのでほんとのにあっているのと思ってしまいます。

ともかく今にいれればOKということです。
これが本来の姿です。
ここに帰ります。
# by human-space | 2005-08-14 12:20 | policy | Comments(0)
今日も休みで時間があるので、瞑想をしたり、本を読んだりゆっくりできました。
おかげで頭もすっきりして、平穏な気分になりました。
何か理屈と現実があってきて、とてもうまくいっているような気がしていました。

ところがちょっとしたことで、ムカッときて感情がコントロールできにくくなってしまいました。
どうも今日の平穏は見せかけだったようです。
本当の内からくる平穏ではありませんでした。

ただ現実何もなかったので、平穏になっていただけだったようです。
本当の平穏ならば、こんなに簡単に崩れるはずがありません。
ただの気分だけでした。

といっても怒りの感情が爆発したというほどではありません。
起こってきた感情がすぐに引かずに、そこそこの間頭から離れなくなったということです。
その感情が少しは外に出ましたが、それ程ではなかったと思います。

たいしたことではなかったと思いますが、それでもけっこう気になりました。
よくいえばちょっとしたことでも気になるほど平穏になってきたということ?
そんなによくなっているとは思いませんが、確かに前の頭の中がぐちゃぐちゃ、ということはなくなりました。

押さえきれないほどの感情というのは減ってきていると思います。
起こってくる感情の数は変わらないけれども、ひとつひとつのエネルギーは確かに小さくなっています。
だいたいは何とかコントロールできるくらいになっています。

ですから理屈で感情を調整できます。
爆発的な感情はとてもそんなことはできません。
理屈なんて吹っ飛んでしまいます。

今日はだいたい平穏だったので、目立っただけかもしれません。
でもまだまだです。
調子に乗らないように地道にやらなくては。
# by human-space | 2005-08-13 20:30 | diary | Comments(0)
前々から何となく思っていたのですが、確信になってきました。
それはこの世界は神が自分の神意識を体験するようになっているということです。
ここは神がそうしたいと思ってつくられた世界です。

ですからすべてはその目的のために動いています。
すべてがそれに向かっていっています。
自然法則が完全に働いているように、完全に働いています。

というより神意識に向かって完全に動いているため、自然法則も完全に働いている、といったほうがあっています。
すべてはそこに向かっています。
例外はありません。

神意識になるために、つねにベストのことが起こっていることになります。
どんな状態でもつねに、そこに向かうためのベストのことが起こっています。
それは人間の意思とは関係ありません。

人間がどう思っていようとも、それは働いています。
宇宙全体がそれに向かって動いています。
それは個人の意志とは関係なくです。

個人の意思が神意識に向いてるとすれば、それは自然にそうなっていくでしょう。
個人の意思が別のものに向いていれば、流れに逆らっていることになります。
間違った方向に進んでいるよと、知らせるために苦しみが起こってくるでしょう。

それがたとえ幸せになろうとしても、それは神意識とは違います。
やっと最近そのことがわかってきました。
神意識と幸せとは違うものなのです。

そこがいままでわかっていませんでした。
幸せを求めようとしても、うまくいかないのはそういうことだったのです。
宇宙の流れにあっていないのです。

似ているようですが、幸福感は神意識とは違うようです。
神意識は絶対的なものであるのに対して、幸福感は相対的な感情です。
相対的なものは2極の両方がないと成立しません。

つまり幸福感は不幸とセットでないと存在できないのです。
ですから幸福感を求めようとすると、不幸もついてきてしまうのです。
これではいつまでたっても先に進めません。

上がったり下がったりの繰り返しになってしまいます。
そしてそれは自我のなかだけにしか存在できません。
相対性は自我のなかだけにしかないからです。

それに対して神意識は違います。
絶対的なものなので、それだけで存在します。
それは自我のなかには存在できません。
自我のなかには相対性だけしか存在しないからです。

神意識があるのは、いまここです。
この目の前です。
それはいつでもどこでも存在しています。

探す必要はありません。
目の前にあるのですから。
それはただ意識をここに戻せば見えてきます。

いつも自我のほうに向いてしまっている意識を戻せばいいだけです。
「いまここ」にです。
それだけです。

それだけで神意識を感じることができます。
何か特別な修行は必要ではありません。
目の前にあるのですから。

そちらに意識を向ければいいだけです。
それができていません。
それだけ自我に意識が向いているということでしょう。

この習慣をやめればいいだけです。
ただそれがあまりに当たり前になってしまっているために気がつかないだけです。
その自我が自分だと思い込んでいるためです。

自我から起こってくる想念や感情が自分のものだと思い込んでいます。
それは自分の一部かもしれませんが、本当の自分ではありません。
普通はそれがすべてだと思っています。

そのため意識が自我のほうばかり向いているため、いまここに向けていません。
ですから神意識を感じることができないのです。
いまここに意識を向ける、それだけでいいのです。

簡単なようでなかなかできないのは、想念や感情が強すぎてどうしてもそちらに意識が向いてしまうからです。
想念や感情との分離感を感じるようになることが必要です。
それには想念観察です。

それが一番手っ取り早いです。
想念観察を続けることで、それらを客観的にみれるようになります。
そうなったら想念や感情に振り回されることがなくなって、意識が今にいれるようになります。

そうなってくれば自然と神意識を体験できるようになってきます。
悟りですね。
その状態になれば自然と宇宙の目的に向かって進んでいきます。

頭で考えなくても、自然にしているだけでよくなります。
何かしなくてはと考える必要もなくなるでしょう。
考えてやるほうがよくないというこになります。

どうもこの世界はこういう仕組みになっているようです。
そしてこの世界はこのゲームしか行われていないようです。
ですからこれをやるしかありません。

これに逆らっていれば、どうなるかはいままでの自分をみていればわかります。
それはもういいです。
素直にこのやり方でやっていきます。

まだまだ人間ができていないのか、一直線に神意識に向かっていこうとは思っていません。
ちょっと寄り道しながら、この物質世界を楽しみながら進もうと思っています。
まだやりたいことがあるのです。

ただそれだけをやろとすると、いままでのように相対世界の罠にはまってしまいます。
また苦しい思いをしなければいけません。
それはもう十分です。

ですから基本的には宇宙の流れに乗りながら、きょろきょろしながら進もうと思っています。
まだ修行が足りないのかもしれませんね。(^^;
それでもいいです。

いつでも悟れるのです。
神なんですから。(^^;
いまを楽しみながら進みます。

やっとやり方がちょっとずつわかってきました。
先が見えてきました。
これでやります。
# by human-space | 2005-08-12 22:09 | policy | Comments(2)
3回目を読み始めてみても、大事な事だらけです。
これではとても付箋を外せそうもありません。
こうなれば、付箋を外せるように理解するまで次に進まないことにします。

何回も読んで、頭にしっかりとはいるまで次に進みません。
自分でもういいと思えれば、付箋を外して次を読むようにします。
我ながら名案?

この本はこれくらいやる価値があります。
頭で理解しただけでは悟れないのはわかっていますが、わかりたいのです。
終わるのはいつのことやら。
# by human-space | 2005-08-12 18:20 | diary | Comments(0)
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を2回目読み終わりました。
1回目は先を読みたくて辛抱ができず、一気に読んでしまいました。
2回目はじっくり自分のペースで読むことができました。

ともかくすごいです。
かなり核心に近づいてきているなあ、という気がします。
シンプルで、本質的です。

本質的なので理解できれば何でも応用できそうです。
逆に言うと、ここがわかっていないとなにをやっても迷走してしまいます。
うろうろするだけで行き着けません。

ここから考えると、すぐ答えが出せそうです。
一言でいうと「今にいる」ということです。
ここから考えなければと思います。

2回目付箋を付けながら読んでいたら、付箋だらけになってしまいました。
次3回目はその付箋を外す作業です。
3回目終わって、付箋がひとつもついていなければすべて理解できたことになります。
さあどうなることやら。
# by human-space | 2005-08-12 11:34 | diary | Comments(0)
昨日いつもの本を読んでいて心を動かされた言葉です。
すっと楽な気分になりました。
あー何だそうしていればいいんだ、と思いました。

いままでのようにジタバタせずに、身を任せていればいいんだ。
最初からそうしていれば、こんなに苦労しなくて済んだのに。
そんなことを思いました。

身を任せて人生の流れに乗っていればいいのです。
そうすればスムーズにうまくいきます。
物事がうまく進んでいきます。

そうせずに、自我が働いてその流れに逆らっていっています。
身を任せてゆったりとしていればいいのに、ジタバタしてしまっています。
自我は宇宙の流れが見えていないのでしょう。

自分のなかの記憶や勝手な推測からいろいろやろうとしています。
それは往々にしてその流れに乗っていません。
ですからバタバタするわりには前に進みません。

じっとしていれば前に進んでいくのに。
どうしてこんなにジタバタしてしまうのでしょう。
これは自我の習性みたいなものなのでしょうがないかもしれません。

自我は時間と相対性のなかに閉じ込められています。
そのなかでいくら考えてもうまくいきそうもありません。
全体が見えないで、自分の中しか見えないからです。

宇宙の流れは、この宇宙全体から一番あったものになっています。
ですから必ずうまくいきます。
ただそれをじゃましなければです。

どうすればいいのでしょう。
ただ身を任せていればいいだけです。
何も考えないです。

ただ今にいていればいいのです。
今にいるということは、その流れに乗っているということです。
自我の外にいるので自我に邪魔をされていません。

身を任せている状態です。
昨日これを読んで、心が動きました。
これです。

これを意識していきます。
身を任せているだけでいい。
これだけで気が楽になりました。
# by human-space | 2005-08-11 21:09 | diary | Comments(0)
今日は仕事中も、想念と一体にならないように意識できました。
といっても想念に押され気味で、たいしたことはできませんでしたが、それでも仕事中に意識できました。
いままでは仕事が始まると、いつも言っていることを意識する余裕がなくなっていました。

ちょっと進歩です。
まだすっきりとはできていません。
もちろん仕事中ずっとできているわけではありません。

今日は仕事がテキパキと進んで、いつもよりはかどっているくらいです。
仕事に集中しているときはそんなことは思いませんが、何かの拍子に強い想念が出てきたとき、そうだこれに乗らないようにしなくては、と意識的になれました。
この調子で一日どんな時にも使えるようにします。

あとうまく想念との分離感を感じていて、想念や感情そのものにならないようにします。
やはり基本です。
まずはこれからやります。
# by human-space | 2005-08-10 22:11 | diary | Comments(0)

今を大切にする。
何回も言っているつもりですが、いつの間にか忘れてしまっています。
いつもの日常生活の中に戻ってしまっています。

感謝の一日さんのブログで紹介されていた本の一節をみて、気分を新たにしました。
これは何回言ってもいいですね。
先の悟りではなく、今が大切だということです。

今がどんな状態であっても、今現在のことが大切だということです。
今の体験が大事だということです。
この体験をするために、今ここにいるということです。

悟りの過程を体験するために、今ここにいるということです。
これはどうも真実のようです。
この世界で起こっていることは(すべてといっていいと思います)、そのために起こっています。

自我からみるとそうは見えないかもしれません。
この世界は自我を満足させるためにあるのではなさそうです。
神がその悟りの過程を体験するためにあるようです。

ですから、そのレッスンが次から次へと現れてくるのです。
自我を満足させようとするだけでは、いつまでたってもゴールに行き着けません。
ゴールに行き着かないと、このゲームは終わりません。

どうもやるしかなさそうです。
「神との対話」で書かれていたように、この世界はこのゲームしか行われていないということです。
逃げようがありませんね。(^^;

大げさに考えすぎることはないかもしれませんが、ここも超えていかなければ前に進めません。
まあこれは壮大なゲームなのであわててもしょうがありません。
ぼちぼちやっていきます。
元に戻りますが、今ここを大切にしていきます。
# by human-space | 2005-08-10 07:57 | diary | Comments(0)
最近はいつもの本から素晴らしい教えを学んでいます。
その時にとても感心します。
それはそれで満足しているのですが、ようは現実の生活にどれだけ反映できるかです。

どれだけ現実の生活に使えるかです。
学んだことを現実と擦り合わせをしています。
その教えがどれだけ素晴らしいかは、現実の生活がバロメーターです。

瞑想も同じです。
そのときの状態がどうだったかではなくて、あとの効果です。
あと現実がどれほどよくなったかです。

ここを忘れないようにします。
ついつい素晴らしい考えを得ると、それだけで満足してしまいます。
気分がいいのはその時だけで、あとは今までどおりになってしまいます。

目の前の現実が変わる。
最近少しずつ出てきてるような気がします。
前は理屈と現実は別のものでした。
やっと理屈が現実のものと思えるようになってきました。
# by human-space | 2005-08-08 20:46 | diary | Comments(2)
ほんとうにこの世界が見えているのでしょうね。
ふぅーとため息が出てしまいます。
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の第9章の「心の平安」は幸福と不幸をこえたところにある、からです。

幸福は「ポジティブ」と称される状況に依存しています。
心の平安は、なにものにも左右されません。

(中略)

幸福も、その対極である不幸と不可分だからです。
つまり、幸福と不幸は実のところ、同じものなのです。
時間という幻想が、それらをまったく違うものであるかのように区別しているのです。

(中略)

ものや状況は、わたしたちに快楽を与えてくれますが、同時に痛みも与えます。
それらは、わたしたちに快楽を与えることがあっても、「心の平安」を与えてはくれません。
この世のものは、なにひとつ、わたしたちに、「心の平安」の喜びを与えてはくれません。
「心の平安」は、なのものにも依存せず、心の奥底からわき上がってくるものだからです。
これが「大いなる存在」の本質であり、「神の平和」と呼ばれている境地なのです。
それは懸命に努力して手に入れたり、がむしゃらになって到達したりするものではなく、わたしたちの本然の状態なのです。

どうでしょうか。
これぞこの世界の本質ではないでしょうか。

自我に強く占められているときは、この考えから逃げ出したくなりそうです。
狭い意味で幸福でさえ否定されそうに感じます。
でもそんなにきびしく考えることはありません。

著者も言っています。
楽しい出来事や美しいものを喜んではいけないと言っているわけではありません。
それらに「アイデンティティ」や「永遠性」を追い求めてはいけないと言っているだけです。

誘惑に負けてしまいそうですが、本質を見誤らないようにしなくては。
ここを間違えると、つらい思いをしてしまいます。
もういいですよね。
これからはこれでいきます。
# by human-space | 2005-08-08 11:09 | diary | Comments(0)